森ビル株式会社

8.建設工事

1)解体工事

工事の期間中も問題が発生しました。まず最初に、11haの地区内の約12万m²の建物を解体する騒音、振動、埃、また解体後の更地になった後の土埃の問題でありました。平成12年は非常に暑い夏で35度を超えて39度というときもあり、雨もなかなか降らず、水を撒いても撒いても蒸発してしまい、解体中の現場に風が吹くと、土埃が飛んでいきます。解体が終了して更地になるとその傾向は益々強くなり、都心に広大なダム建設現場が現れたような状況でした。散水車を2台用意して常に散水をしていましたが、見ているうちから乾いていき、近隣の方には迷惑をお掛けしました。
また解体中、明渡しが遅れている建物が何棟かあり、解体工事の障害となりました。権利変換計画認可を受けた時点で明渡しに同意をせず、再開発に反対をしている方が何人かおり、明渡し訴訟を土地建物所有者に対して2件、借家人に対して2件、提訴しています。4件の訴訟のうち3件に関しては早期に和解となりましたが、1件に関しては平成12年末まで訴訟が長引きました。現地を明渡したのが平成13年(2001)2月、権利変換計画認可から丸1年が経過していました。

1999年8月
1999年8月
2000年9月
2000年9月
2001年1月
2001年1月
2001年9月
2001年9月

2)工事施工上の工夫

これらの明渡し遅延建物の存在により、工事は大きな遅延を余儀なくされました。解体現場の中に使用している建物があると、その建物に供給しているライフラインを切ることが出来ません。道路のアクセスはもちろん、電気、水道、ガス、下水。これらのライフラインを切り回しながら周辺で工事を進めることになり、施工各社は当初予定していた施工計画の変更を余儀なくされ、工程の大きな遅延要因となりました。特に超高層の事務所棟にとっては深刻な事態でした。
これをカバーするために工事時間の延長が建設会社から提案されました。通常8時~18時までの作業時間を延長して行うということが近隣との関係で難しい課題でした。この地区の北側は商業地域だが、南側は元麻布の住宅地に隣接しています。そのような環境の中で、いかに周辺への騒音などの迷惑をかけずに工事を続行するか、ゼネコンは知恵を絞りました。当地区は東西南北それぞれ400m近い広さがあります。地区境から100mほど離れた地区の中央部分に大きなフェンスを立て、防音シートを張り巡らせて、その中で法令上許されている範囲内での作業を限定的に行います。地区中央で作業を行った場合の騒音を測定し、周辺暗騒音の中におさまる見通しを立てたうえで工事を実施しました。それでも近隣からは、工事照明がまぶしいという声をいくつかいただきました。

2001年12月
2001年12月
2002年1月
2002年1月
2002年6月
2002年6月
2003年1月
2003年1月

3)施工調整

ただでさえこの地区の工事は施工調整に課題を抱えていた1haの事業区域内で複数の建築JVが工事を進めながら道路や公園の築造という土木工事も並行して進めなければなりません。各棟の施工者が現場に乗り込んできたときにはまだ、道路工事が完成しておらず、一見して建物の敷地境界が分かりません。「うちの工区はどこからどこまでですか。」という状況でした。土木工事の所長も橋やトンネルの工事は経験していましたが、建築工事と工程調整しながら土木工事を進めるなどということは初めての経験。戸惑うことばかり。将来の道路予定範囲部分に仮設道路を築造し、そこを工事車両の現場内通路として使用しながら、建築工事を進めます。近隣への配慮から西側のテレビ朝日通りからは工事車両の出入りを行わず、工事車両の出入りは全て北側の六本木通りと東側の環状3号線に限定したことも工事車両や物流泣かせでした。地下の掘削期間ともなれば現場全体で1日に何百合というダンプカーが土を搬出します。コンクリートの打設期間ともなれば何百合のミキサー車が出入りします。その工事車両の動線の割り振り、各工区間の施工の収まり調整、各棟工事と土木工事のその時々の施工の優先順位の決定など、施工者間で協力して全体の目標工期を守るために各棟JVとの連絡調整を行う施工調整室を置きました。
施工調整室は設計監理者、再開発組合事務局と協議しながら街区全体の課題整理と優先順位を決めていきました。ある時期は、土木の道路築造が優先、ある時期は事務所棟の地下掘削を優先、またある時期は住宅棟の地下躯体を優先と、その時々の課題を全体の工程をにらんで調整しながら進めました。各棟とも自分の工区の工期が心配ですからその調整、譲り合いは大変でしたが、データベース上で全工区の3ヶ月予定工程表を公表し、その時点での課題を全施工者が共有化しながらコンセンサスを創り上げていきました。

そんな中で平成14年4月7日には森タワーと住宅棟の上棟式を行い、4月8日には小泉首相を始め政界財界の関係者を招待し、上棟記念パーティを執り行いました。バブル崩壊後のデフレスパイラルに苦しむ日本経済は都市再生に活路を求め、六本木ヒルズはその象徴的なプロジェクトとなっていました。
その後、建築工事は躯体工事から内装工事へと進み、土木工事も建築工事との調整に苦労しながらも道路、デッキの仕上げ工事へと進んでいきました。