森ビル株式会社

コンセプト

開発前の状況

六本木ヒルズは六本木通りと環状3号線の結節点である六本木六丁目交差点の南側に位置し、計画地は六本木通りと環状3号線、テレビ朝日通りに囲まれた約11ha(六本木ヒルズゲートタワーを除く)の区域となっています。計画地の中央にはテレビ朝日の敷地が広がっており、南側の木造を中心とした低層住宅が密集して立ち並ぶ住宅地とは15m以上の高低差がありました。住宅地の中は車と人がやっとすれ違える程度の狭い一方通行の道路で、消防車が入れず防災上の課題を抱えた地域でした。
また六本木六丁目交差点は広域幹線道路の結節点でありながら、南側がトンネルのみの整備にとどまっており、平面接続されていませんでした。

開発前写真
開発前写真
開発後写真
開発後写真

六本木ヒルズの基盤整備

当再開発事業では、これまで実現されていなかった環状3号線(麻布十番側)と六本木通りを平面接続する連結側道を整備し広域交通網の向上を図りました。また、連結側道の上部に広場状の歩行者デッキ(66プラザ)を設け、既存の地下横断歩道の改築整備を行い、現在の交差点を整備しました。66プラザは隣接するメトロハットにおいて日比谷線六本木駅連絡通路と直通エスカレータで結ばれ駅利用者の利便性を向上させるとともに、六本木六丁目交差点での歩車分離を実現し、六本木から西麻布へ続く街並みの連続性を確保しています。
この66プラザは下のレベルが連結側道と敷地内車路の出入口、さらにその下に麻布トンネルがある三層構造になっています。道路工事と両側の建築工事を一体的に計画し同時に施工したことにより初めて実現出来たと言える、都市再開発事業ならではの手法です。
地区のメインストリートである「けやき坂通り」は、地区の東西を横断しテレビ朝日通りと環状3号線を接続しています。沿道にケヤキ並木を配し、両側敷地の壁面後退部分を含め実質幅員24mの街路空間として整備しました。道路整備と沿道建築物の整備を一体的に行うことによって、街路景観的にデザインされたゆとりある歩行者空間を実現しました。
また敷地内に自動車専用動線を整備し(森タワー1階/センターループ)、自動車専用動線に駐車場出入口や車寄せ、タクシーベイ、路線バスの停留所などを設け周辺道路への影響を減らしていると同時に歩車分離による安全確保を図りました。

ループ車路
ループ車路
環状3号線・六本木六丁目交差点
環状3号線・六本木六丁目交差点
環状3号線・毛利庭園側
環状3号線・毛利庭園側

施設計画

六本木ヒルズは、1986年に六本木六丁目地区が東京都から「再開発誘導地区」の指定を受けて以来、約400件の地権者と17年の歳月をかけて進めてきた民間による国内最大級の市街地再開発プロジェクトです。
区域面積約12haに、“文化都心”をコンセプトとして、オフィス・住宅・商業施設・文化施設・ホテル・シネマコンプレックス・放送センターなど「住む、働く、遊ぶ、憩う、学ぶ、創る」といった多様な機能が複合した街です。アートとインテリジェンスが融合したこの街は、「アーテリジェント・シティ」と呼ばれ、世界から人が集まり、異文化間の交流の中から、新しい文化や情報が発信される拠点となっています。

建築・デザインコンセプト

「文化都心」に相応しい国際的なデザイナーを起用しています。

建築・デザインコンセプト
  • 六本木ヒルズ森タワー、グランド ハイアット 東京、けやき坂コンプレックス

    Q.このプロジェクトで、最も苦労したところ、印象に残ることは?
    A.我々がもっとも苦労した点は、オフィスタワーの巨大な胴体にとても日本的に見える特有さを出すことでした。細く高いタワーはもともと美しいのでデザインはしやすいものです。上海環球金融中心はそうした例の一つです。一方、六本木ヒルズ森タワーは、それにくらべると建物のプロポーションからいっても、力士にたとえられるでしょう。オフィスタワーの胴部を曲線状の何枚ものプレートで覆いましたが、それは武士の鎧兜(samurai armor)の層状になっているところからヒントを得ました。我々西洋人からすると、六本木ヒルズ森タワーは日本風に感じます。日本人のみなさんにとってもそのように見えるといいのですが。

    Q.六本木ヒルズの建築で、人々には特にどの部分に着目してもらいたいとお考えですか?
    A.六本木ヒルズのユニークな面は、すべての個々の部分がお互いに与える影響によってとてつもない都市の生命力をつくりあげたということです。それぞれの部分(オフィス、ホテルそして映画館)を独立した施設として見るのではなく、むしろより大きな全体を構成する要素のひとつとしてみていただきたいと思います。

  • メトロハット、ヒルサイド、ウエストウォーク、ハリウッドビューティプラザ

    Q.このプロジェクトで、最も苦労したところ、印象に残ることは?
    A.最も思い出深かったことと言えば、ずいぶん長かったとはいえ、一見不可能とも思える程のこの巨大なプロジェクトが、ついに完成したということです。ナイキの広告「Just Do It」(やるだけだ)とまさに同じように、森ビルは「Just Did It」(やり終えた!)という感じです。六本木ヒルズという非常に入り組んだ、そして挑戦しがいのあるプロジェクトで、世界で最も優秀なデザイナーの何人かの方々と働き、コラボレーションできたことはとてもすばらしい経験でした。

    Q.六本木ヒルズの建築で、人々には特にどの部分に着目してもらいたいとお考えですか?
    A.六本木ヒルズは、人と自然、経済と社会、過去と未来の合流点であると思います。ヒルサイドは、自然や庭園が下に広がり、その上部や周辺にはデッキやビル、その他の建物がありますが、物理的にもまた表現的な意味においても、この合流点をうまく通り抜けるという、このプロジェクトにおいて常に活気ある役割を担っています。他の全てのものに触発された、ヒルサイドの最終的な仕上がりに森ビルはとても満足しています。言い換えると、それは他のすべてのもの、ウエストウォークやメトロハット、そしてけやき坂通りまでがヒルサイドに触発されたということなのです。
    ヒルサイドは最も重要な最初の発想であったかもしれませんが、六本木ヒルズ全体はそれぞれの部分のほどよい相互作用と組織的な働きに基づいて出来上がっています。交響曲のように、他よりも強く、強調される音符や音節があるでしょう。しかし、全体なくしては交響曲にはなりえないのです。六本木ヒルズは、全体を体験してのみ、初めて本当に味わったといえるでしょう。
    六本木ヒルズは現存の六本木地域と同様に隣接する地域と結びつき、東京のより大きな融合へ向かおうとしているのです…つまり完全な調和へと。森ビルはこの「全体」というパワーが六本木ヒルズの最終的な財産になるものと信じています。そして究極的にはこれこそが、森ビルが人々に気づき、本当に着目してもらいたいと望んでいることなのです。

  • 六本木ヒルズレジデンスA~D、六本木ヒルズゲートタワー

    Q.このプロジェクトで、最も苦労したところ、印象に残ることは?
    A.コンラン・アンド・パートナーズが六本木ヒルズのプロジェクトに携わったことは、非常にすばらしい経験で、一つひとつの記憶に残る出来事は語りつくせない程です。しかし今回のプロジェクトで最も大切な想い出といえば、我々のデザイン実現のために、そして最高のプロジェクトを創り上げるために多大な貢献をしてくれた全ての日本人スタッフの皆さんとともに働いたことという喜びにつきます。森社長とのプレゼンテーションに始まり、構造のチームとの石材の詳細についての打ち合わせに至るまで、このプロジェクトに関わったすべての人たちを森ビルは決して忘れないでしょう。

    Q.六本木ヒルズの建築で、人々には特にどの部分に着目してもらいたいとお考えですか?
    A.コンラン・アンド・パートナーズは、六本木ヒルズのプロジェクトに多岐に渡って参加するという幸運に恵まれました。その中には、住宅棟、六本木ヒルズスパ、六本木ヒルズクラブそしてゲートタワーがあります。森ビルのすべての仕事において、質の高い素材を用い、ディティールのすべてに配慮しつつ、明瞭さとシンプルさを追及しました。
    プロジェクトの中の森ビルが手掛けたそれぞれのエリアは表面的には同じようには同じようには見えないのですが、しかし森ビルのデザインしたものには一貫した姿勢があるのです。その部分を是非、六本木ヒルズを訪れ、また住み人々に楽しんでいただければと思っています。

  • テレビ朝日

    Q.このプロジェクトで、最も苦労したところ、印象に残ることは?
    A.テレビ朝日新本社は東京の中心部にありながら、建物の周辺に潤沢な外部空間をとる事の出来た珍しいケースです。これも再開発計画という、既存の街区に制約されない建物配置が産み出した恩恵の一つではなかったかと思います。ただし、テレビ関係のサービスのアプローチはどうしても環状3号線と新しく出来たけやき坂通りの交差点でなければならないという制約があり、都市デザイン上、どのようにこのコーナーを処理するかが一番苦労したところだったと思います。当然サービス・コートをなるべく見せない、また、たとえ見せなくてはならなくても、どのようにエレガントに見せるかが我々の課題であった訳です。
    長さ50m、高さ5mのコンクリートの壁ではつまらない。宮島達男“カウンター・ヴォイド”は素晴らしいアート・ワークで、まさに禍を転じて福となすといった感じでした。また、エントランス・コートの方から、このサービス・コートもあまり見せたくない。我々がデザインした“水のカスケード”も同じような意味で成功したと思っています。 一番気に入っている処といえば、やはり弓形の大きなアトリウムかもしれません。北に面していながら明るく、庭園の緑も濃い。僕は、メトロポリスには勿論賑わいも大事ですが、一人ひとりが孤独を楽しめるという事も同じ位必要だと常に思っています。大きい割にそうした静かさに満ちた空間を演出出来たと信じています。そのうち六本木ヒルズも、もう少し落ち着いてくると、さらにアトリウムの雰囲気もよくなると期待しています。

    Q.六本木ヒルズの建築で、人々には特にどの部分に着目してもらいたいとお考えですか?
    A.六本木ヒルズの成功している部分についての感想という問いですが、第1に、僕はヒルズという地形が今回大変うまく使われたところにあると思います。アークヒルズでは後方の丘の部分はこの計画の主役になっていないのと比較すると、六本木ヒルズの魅力は明らかです。僕は昔、若い頃、始めて地中海沿岸のヒルタウンを訪れる機会があり、その魅力にずっととりつかれてきました。人々は見上げ、見下ろすという単純な関係があるだけで、そこに行こうという衝動にかられます。
    第2はけやき坂通りです。日本人は坂道が好きです。そして今度の場合、緩やかに曲がっているところがいい。表参道がバロック的だとすると、けやき坂通りはもっと日本人の好みにあっています。完成直前に移植されたけやきも素晴らしく育っています。アリーナも含め、このように豊かな外部空間を設けることが出来た背後に、再開発に与えられた総床面積が、中央の一本の森タワーに出来るだけ集約された恩恵にあずかるところが大きかったのではないでしょうか。

  • 森美術館、ミュージアムコーン

    Q.このプロジェクトで、最も苦労したところ、印象に残ることは?
    A.六本木ヒルズの中の広大な商業エリアの中にある森アーツセンターをデザインする上で最もチャレンジングだったことは、このプロジェクトの主要な要素となるアーツセンターのために、特徴がある建築的独自性をもたせるということでした。この点について、森ビルは二つの部分から取り組みました。
    最初の点は、このプロジェクトの文化的な場所への入口とわかるような象徴的な建物の必要性に気づいたことで成し遂げることができました。ミュージアムコーンというこの建造物は、歩行者の動きを集約する地点となり、広場の上にある美術館の入場階への昇り口となっています。二つめは、森タワーの上層階に独立した「建物の中の建物」をつくるということでした。美術館を通っていく人々の流れとその方向を定めるという大切さについても森ビルは気付いていました。そのため、ビルの主要部分に沿って美術館を作り、建物の重要な視覚的な軸をオープンにしたので、来館者の流れがはっきりと分かるようになりました。美術館の上の階では、美術館の順路を一旦遮断し、来館者そしてアーティスト両者に、外の景色を見て自らの位置を再認識させることがとても重要だと感じました。これは建物の長い両軸の端にある二つのガラスのギャラリーによって実現できました。

    Q.六本木ヒルズの建築で、人々には特にどの部分に着目してもらいたいとお考えですか?
    A.森ビルは、このミュージアムコーンをとても誇りに思います。これは構造設計の担当者や森ビルの社員の方々、そして森ビルの会社の照明デザイナーたちの見事なコラボレーションのたまものです。皆様にはぜひ、細部へのこだわり、すばらしい建築構造、そして夜のライティングの極めて優美な効果を味わっていただければと思います。また、美術館や展望台に使われている、さまざまな素材の使い方も来館者の方々に楽しんでいただきたいと思います。

  • 六本木アカデミーヒルズ

    Q.設計部分で、最も苦労したところ、印象に残ることは?
    A.森タワーそのもののスケールが大きく、1フロアがすでに「都市」のスケールを持っていたため、「建築」ではなく「都市」デザインとしてのスケール感を大事にしました。つまり、“通路”をつくるのではなぐ“ストリート”を創る都市デザインとして行った点が印象に残っています。
    またアカデミーヒルズは“ストリート”を内包するような「都市的」な空間でありながら、一方では「書斎」というようなとても人間的・個人的なスケールのスペースも同時に併せ持つ多層的な空間であり、その二つの異なる感覚をひとつの空間に両立させるという点が苦労したところでもあります。
    さらに機能が重なりあうデザインができたことも大変印象深いところです。アカデミーヒルズの施設はそれぞれ単一機能ではなく、会議室でありながら図書館の機能をもっていたり、またロビーでありながら書棚のあるライブラリーであるというような、いくつかの機能が重なる複合性が実現できたところが面白いと感じるところでした。

    Q.完成した現在、一番気に入っている部分は?
    A.全体で200mにもおよぶ本棚の並ぶ通路。その本棚の後ろからは外の光が入ってくるようにデザインしたのですが、並んだ本の隙間から外の光が入ってくる感じを楽しんでいただければと思います。

    Q.完成した六本木ヒルズに対しての印象は?
    A.今までの都市開発は「広場」と「タワー」によって創られてきましたが、六本木ヒルズはそれにストリート性、つまり賑わい感、人の流れのようなものが加わった、世界でも類のない先進的な事例だと思います。ストリートそのものは生き物だったと思うので、これから徐々に人間臭さが加わり、もっと魅力的な街になることを楽しみにしています。

開発経緯

当地区の再開発区域は約11ha(六本木ヒルズゲートタワーを除く)。立地としては北側に六本木通り、地区の北側から東側にかけて環状3号線、西側にはテレビ朝日通りと呼ばれる補助10号線、という幹線道路に挟まれた位置にあります。地区の中央には昭和33年(1958)に日本教育テレビとして放送を開始したテレビ朝日の敷地が約3ha広がっていました。地区西側のテレビ朝日通りや北側の六本木通り沿いには7階から9階建ての、昭和40年代に建てられた中小のビルが立ち並んでいました。
テレビ朝日の南側の住宅地は、昭和33年に日本住宅公団によって分譲された5棟、116戸の公団日ヶ窪住宅と木造を中心とした低層住宅地で構成されていました。この住宅地はテレビ朝日の地盤面が海抜31mなのに対して最大15mほど落ち込んだ窪地のような地形でした。住宅地内の道路は西から東への一方通行路となっており、テレビ朝日通りの1ヵ所の入口から入り、住宅地の中で細街路が広がり、出口は環状3号線に向かってまた1ヵ所で出て行きます。幅員3m前後の狭い道路で、消防車は入れず、救急車もやっと通り抜ける防災上の課題を抱えた地域でした。

開発経緯
開発経緯
開発経緯
  • 開発経緯年表
  • 1986年11月:「再開発誘導地区」指定
  • 1990年12月:「六本木六丁目地区再開発準備組合」発足
  • 1995年4月:「都市計画決定」告示
  • 1998年9月:「六本木六丁目地区市街地再開発組合」設立認可
  • 2000年2月:「権利変換計画」認可
  • 2000年4月:着工
  • 2003年4月:竣工