森ビル株式会社

5.都市計画決定への道のり

1)66PLAN発表

平成4年7月17日、待望の再開発計画案を発表しました。
全体計画委員会や住宅計画委員会での議論、準備組合範囲の拡大、港区の交通計画調査や事業推進計画策定調査の結果を受けて取りまとめられた六本木六丁目地区の再開発計画案「66PLAN」がついに発表となりました。発表会場となったハリウッド美容専門学校講堂は約170名の組合員で満席となりました。
それまで事業推進基本計画のモデルプランで全体配置のイメージが示されていましたが、「66PLAN」では全体配置図、1,000分の1模型、各施設、空間のパース、公共公益施設の概念図や植栽計画まで示されたかなり具体的な計画案となりました。
この計画案は権利者から大歓迎を受けたのです。計画発表後、準備組合事務所での模型展示会や、欠席者のための追加説明会、全体計画委員会、住宅計画委員会などの中で多くの感想・意見が寄せられましたが、その多くは「すばらしい計画案だ。」「一日も早く実現させたい。」など、計画案を高く評価し、早期実現を望むものでした。
そこで準備組合はこの計画案を現実のものにすべく、行政に対する都市計画手続きの開始要請と環境アセスメントの評価書案の作成に走り出すことになります。

2)都市計画手続き推進に向けて

第4回六本木六丁目地区再開発準備組合総会(平成4年10月31日)
第4回六本木六丁目地区再開発準備組合総会(平成4年10月31日)

平成4年10月31日に開催された第4回準備組合総会において関係諸官庁に対して都市計画手続き開始を要請していくこと、環境影響評価書案を作成していくことを決議し、計画の早期実現に向けた決議文を採択しました。この総会には港区長を始め、助役、都市環境部長、再開発担当課長を来賓に招き、地元の決意を行政にアピールしました。
この総会に先立ち、それまで空位だった理事長、副理事長の選任も行いました。

3)六本木六丁目再開発を考える会

準備組合は行政の都市計画手続推進と並行して未加入者に対する説明、合意形成についても精力的に取り組みました。しかし、都市計画手続の進行と呼応するように未加入者の一部が反対運動を組織化し、都市計画決定阻止に向けて動き出しました。未加入者と準備組合の常任理事は3月、4月と話し合いを持ち、いずれも3時間以上に及ぶ会でありましたが、平行線の意見交換でした。
平成5年6月、親和会地区の未加入者を中心に「六本木六丁目再開発を考える会」が設立され、7月23日に東京都都市計画局開発計画部長宛、7月30日には港区長宛に都市計画手続凍結の陳情を提出。
8月16日、その概要を会の宣伝紙「かわら版」に掲載して地区内に配布しました。主な論点は「事業計画の内容・資金計画・キーテナント・権利変換計画など、地権者・住民が判断する上で必要な情報が充分に公開され、再開発の適否を充分に検討できる状況が実現できるまで都市計画の手続を延期してほしい。」というものでした。
都市計画決定以前の段階では「考える会」の希望する内容には未定の部分が多く、概要や方向性を説明するにとどまりましたが、それでは「考える会」は納得しません。反対派の動きがはっきりしてくると行政も都市計画手続の推進を躊躇。未加入者に対しての説明の意味もこめて、現時点でのモデル権利変換の試算を示すよう港区から準備組合に指導がありました。
準備組合がモデル権利変換試算を示したのは平成5年10月4日第29回権利変換計画委員会。10月14日から16日にかけて連絡部会で発表。この連絡部会には一部の未加入者も出席して意見交換を行いました。さらに10月21日には未加入者を含めた地区内の全土地建物所有者を対象とした説明会を近隣の南山小学校体育館で開催しました。翌22日には「考える会」メンバーと森稔理事長との直接対話が行われます。
「考える会」は関係者を含め20名近い人数でこれに臨み、2時間半以上の意見交換の結果、今後の話し合いを継続することで一致しました。
一方、準備組合は都市計画手続の推進要請を形として表すために平成5年12月10日、権利者の約90%、278名の連署を添えて「都市計画手続き推進のお願い書」を港区長に提出。13日には港区から東京都知事に提出されました。その後も常任理事が未加入者を個別に訪問し、再開発への理解を求めます。常任理事がクリスマスイブの夕方に未加入者宅を訪問したら「考える会」のメンバーが集まっており、家を辞したらクリスマスの午前2時だった、ということもありました。

4)環境アセスメントと都市計画決定

年が明けて平成6年(1994)、ようやく都市計画手続が動き出します。2月8日東京都が都市計画案の公告縦覧を行い、環境影響評価書案の公示、縦覧も行われました。
環境アセスメントの手続きに関しては当地区は評価項目が10項目と多岐にわたり、電波障害の発生が予想されたことから地区周辺だけでなく目黒区、世田谷区、杉並区まで説明会を開きに行きました。平成6年2月に環境影響評価書案説明会を10回、11月に見解書の説明会を7回開催しています。
評価書案の説明に際しては考える会を中心とした組織票の反対意見書が大量に提出されました。その数約12,000通。
都市計画手続の進展に伴い「考える会」は平成6年4月に「六丁目再開発反対の会」に名称変更し、不動産不況が本格化する中で事業計画の詳細が明らかにされていない段階での都市計画決定は見送るべきとの主張を展開、地区内の自宅の壁に再開発反対のポスターを掲出、街の中に居心地の悪い空気が流れます。
11月の見解書案に関してもやはり2,000通以上の意見書が寄せられました。
平成7年(1995)1月17日東京都は六本木六丁目地区の再開発事業を3月の都市計画地方審議会に提出する案件として発表。新聞各紙は再びこれを大きく取り上げ、「民間による再開発としては最大級の規模」「六本木六丁目再開発始動」の見出しが躍りました。
2月20日、港区都市計画審議会が都市計画案を原案通り答申。3月16日、東京都都市計画地方審議会が都市計画案を原案通り承認。その後、建設大臣の認可を得て都市計画決定の告示があったのは平成7年4月28日のことでした。都市計画手続開始から2年以上が経過していました。
待望の都市計画決定を得た後、準備組合はいよいよ事業を実施する再開発組合の設立へと歩み出すことになります。

第1回環境影響評価書案説明会(平成6年2月10日)
第1回環境影響評価書案説明会(平成6年2月10日)
「六本木六丁目再開発反対の会」のポスター
「六本木六丁目再開発反対の会」のポスター