森ビル株式会社

3.準備組合設立へ

1)5地区の協議会から全体の連絡協議会へ

この「事業推進基本計画」策定過程において、港区と地元が随時意見交換を行う中で港区から地元の協議会、懇談会に対し、「事業推進基本計画」発表時の地元の受け皿組織として地区全体協議会を設立してほしいとの呼びかけがありました。
具体的には、平成元年12月22日、港区は各地区の役員や世話人2人ずつを招いて「事業推進基本計画」の経過説明などを行いました。具体的な計画案作りのために地区内の地形、高低差測量を行う話や環境アセスメントの現況調査に取りかかる話などとあわせて「事業推進基本計画をまとめる時点では地区全体の受け皿となる組織を作っていただくことが望ましい。町会の枠を超えた全体の協議会という性格の組織が出来ていることを望む。」との話がありました。
これを受けて平成2年の年明けの各地区での話し合いは地区全体の連絡組織をどのように作り上げていくかという議論になりました。その結果「各地区の足並みをそろえて、横の連絡をとりながら再開発について具体的に研究・検討していこう。そのためには今の各地区の組織をしっかりした体制にすることが必要だ。」との合意が得られ、全地区ともほば共通の規約のもとに協議会を設立することになりました。2月下旬から3月上旬にかけ、5地区全部で街づくり協議会が設立され、全地区が足並みをそろえて動き出すことになります。日ヶ窪住宅では「新日ヶ窪住宅を創る会」を発展的に解消し、「日ヶ窪住宅街づくり協議会」を設立。それまで「街づくり懇談会」として行われていた六本木材木町地区、桜田睦会地区、親和会地区においても協議会が相次いで設立され、すでに協議会として活動していた「宮村地区街づくり協議会」では既存の規約を他地区の規約と同様に改正しました。
各地区とも規約の目的は「六本木六丁目地区における再開発について構成員相互に意見交換し、より良い街づくりについて研究・検討する」こととされ、協議会運営のために各地区とも5名から10名の理事を選出しました。また、事務局には全地区において森ビルとテレビ朝日が選出されました。
平成2年3月5日には全地区の理事40名中33名が一堂に会し、港区担当者との打合せを持ちました。港区担当者からは事業推進基本計画策定の経過報告が行われ、当地区の都市計画的な位置付けのために再開発地区計画の導入を検討しているとの説明や、「今後、再開発について具体的な計画案を検討し、容積率などを煮つめて行くためには全地区一体での研究検討を重ね、行政と充分に協議しながら合意形成を図っていくことが必要。」との説明がありました。出席した理事からも各地区協議会を横につなげる組織としての全体協議会の必要性に関する意見が続出し、結果として各地区協議会の理事によって構成される連絡協議会を定例的に開催し、各地区協議会間と行政間の連絡、情報交換を行うことになりました。4月17日の第2回会合で名称も正式に「街づくり連絡協議会」と決まりました。

2)準備組合設立

六本木六丁目地区再開発準備組合設立総会(平成2年12月15日)
六本木六丁目地区再開発準備組合設立総会(平成2年12月15日)

連絡協議会設立後2~3ヶ月は各地区協議会がお互いにお互いの状況を認識する情報レベルのすり合わせの時期でした。そこにいよいよ「事業推進基本計画」の説明会が開かれます。7月22日と23日の2日間にわたって麻布区民センターで開催された港区主催の勉強会には約220名が出席。説明役のコンサルタントからは「基本計画では当地区を段階的に整備していくことも想定していたが、事業推進基本計画のモデルプランでは地区の要望なども踏まえ、一体的開発を前提にしています。今後はこれをもとに協議会などで議論を重ね、合意形成を図り、事業化に向けて準備組合などの組織を作ることが必要。」との話がありました。
事業推進基本計画発表後、各地区協議会は港区担当者を招いてその内容についてより詳しい説明を聞き、意見交換を行いました。その中でも港区担当者から「今後皆さんの基本的合意が得られれば事業計画検討の段階に進むが、そのためには一体的組織として準備組合が必要。」との見解が述べられました。地元としてもそれまでの各地区協議会の連絡組織ではなく、地区全体での検討・研究組織、再開発実現に向かっての準備組合の必要性が強く認識されるようになり、10月4日の第4回連絡協議会で平成2年中を目標に準備組合を設立しようということになりました。
各地区協議会も準備組合設立について活発な議論を交わし、10月25日の第5回連絡協議会で、設立趣意書、規約案を取りまとめました。設立に際しては、各地区協議会理事全員が設立発起人となり、年内設立に向けて精力的に加入の呼びかけを行いました。
「六本木六丁目地区再開発準備組合」が設立されたのは暮れも押し迫った12月15日。国際文化会館講堂で設立総会が開催されました。当日は師走の土曜日にもかかわらず120名を超える加入者が集まり規約案、役員案が諮られ、準備組合が発足しました。
その後の設立パーティには来賓、組合員約170名が出席、再開発事業に向けて新たなステップを踏み出そうという一体感を得て、会は盛況でありました。普段あまりパーティなどに顔を見せない森ビルの故森泰吉郎社長も車椅子で出席、「地域の皆様方との心と心が相通じ合う信頼関係を大事にし、最後の笑顔のために一生懸命がんばります。」と挨拶しました。

3)完成目標時期

準備組合の設立趣意書の中で六本木の周辺状況として地下鉄12号線(都営大江戸線)の完成予定時期に触れていますが、平成2年当時、開通予定は平成8年(1996)と発表されていました。準備組合を設立するにあたって役員たちは再開発事業の完成目標時期をこの地下鉄開通に合わせて平成8年としました。新しい地下鉄の完成で交通環境が整う時に合わせて完成させよう。6年後には完成させようという目標です。工事に3年かかったとしても都市計画決定、組合設立、権利変換を3年で進められればぎりぎり間に合う。
すでに呼びかけ開始から準備組合の設立まで4年を経過しており、トータル10年。アークヒルズが完成まで17年かかったのに比べれば期間は短いが、多くの高齢の権利者にとっては充分長く、現実的な最短目標でした。
12号線の開通は大幅に遅れたが、再開発の方も大幅に遅れ、結果として平成14年(2002)の12号線開通は平成15年4月の六本木ヒルズ開業に間に合うことになります。