森ビル株式会社

2.再開発基本計画と事業推進基本計画へ

1)再開発基本計画

地元でテレビ朝日と森ビルの両者が声掛けをしている間に、行政側の港区は東京都の「再開発誘導地区」指定を受けて昭和62年度予算に「再開発基本計画策定調査」を計上、基本計画作りを行っていました。
昭和62年11月20日には地域住民へのアンケートを実施し、11月30日には地元の生の声を聞くために計画地近くの南山小学校で「基本計画策定のための住民懇談会」を開催しています。学識経験者などにより、この地域の課題、目指すべき方針に関しての検討が進められました。
「再開発基本計画」は昭和63年(1988)6月にまとまり、8月22日には麻布区民センターで港区主催の地元説明会が行われました。港区からは都市環境部都市計画課長ら担当者6人が出席、約2時間にわたって基本計画の説明と質疑応答が行われました。会場には約270人が集まり、再開発に関する関心の高さがうかがえました。
住民アンケートの結果や、開発の課題、開発理念、開発のガイドライン、ガイドプランなどの説明が行われ、六本木六丁目地区開発における重要課題として「都心定住」「毛利邸の旧跡および樹林の保全・活用「公共施設の整備」の3つが示されました。「公共施設の整備」では環状3号線と六本木通りを結ぶ側道整備や環状3号線とテレビ朝日通りを東西に結ぶ主要区画道路(現在のけやき坂通り)の整備などが挙げられています。特に環状3号線は都心の主要な幹線でありながら、六本木通りとは立体交差しており、青山方面の側道は整備されていたが、芝方面へは未接続の状態であり、広域交通ネットワークの形成を図るためにも、この2つの幹線道路の平面接続が望まれていました。
港区は説明の中で「この地区は都心部の大規模開発のモデルと考えている。都心定住と自然環境の保全、公共施設整備が重要な課題である。公共主体、地区住民、民間事業者が協調し、お互いの役割を果たすことが大切」と述べ、出席者からの意見や質問も全般的に再開発を肯定し、その進め方や中身に関して注文をつけるものが多かったです。港区からは「計画の実現のためには、まず地元で街づくり協議会を組織して意見を出し合うことが必要だ。住民主体の考え方で世界の六本木にふさわしい街づくりをしていきたい。」との考え方が示され、この説明会を受け、地元では町会単位で街づくりに対する勉強会、懇談会が開かれるようになります。

再開発基本計画説明会
再開発基本計画説明会
地区整備ガイドライン「六本木六丁目地区再開発基本計画報告書」より
地区整備ガイドライン「六本木六丁目地区再開発基本計画報告書」より

2)5つの町会・自治会

六本木6丁目地区街づくり協議会範囲図
六本木6丁目地区街づくり協議会範囲図

この再開発地区は4つの町会が部分的にかかっていました。北側の六本木通りに近いエリアは六本木材木町町会、西側のテレビ朝日通り沿いは桜田睦会、南側が宮村町会、東側から地区中央にかけて日ヶ窪親和会、日ヶ窪親和会の一部に公団日ヶ窪住宅があり、独自に1つの自治会を持っていました。基本計画の説明会と前後してこの5つの町会、自治会を単位とした会合がもたれるようになりました。
最も先行して勉強会を開いていたのは公団日ヶ窪住宅でした。昭和62年に森ビル対策のために結成された「日ヶ窪住宅を考える会」は独自にせよ共同にせよ再開発は必要との考えから、様々な検討を開始します。専門家を呼んでの講習会や勉強会は21回を数え、その結果、再開発の早期実現を図り個人の権利を最大限に守ることを目的に「考える会」を発展的に解消。再開発基本計画の説明会に先立つ昭和63年6月4日「新日ヶ窪住宅を創る会」を発足、港区を招いての質疑応答やテレビ朝日、森ビルを招いての意見交換を行っていました。
9月22日には六本木材木町町会で「材木町地区街づくり懇談会」がハリウッド美容専門学校で開催された。磯田伊一郎町会長とハリウッド株式会社、テレビ朝日、森ビルの呼びかけで約40人が集まり、継続的に話し合いを重ねていくことが確認されました。
9月28日には宮村町会副町会長の原保さんからの「協議会を作り、再開発について意見交換しよう」との呼びかけで住宅地内のテレビ朝日・森ビル連絡事務所に宮村町会の権利者33名が集まりました。原さんから協議会の趣旨説明があり、その後約2時間の意見交換の結果「再開発についての意見交換や研究を進めることが必要である。」と出席者の意見が一致。「港区の再開発基本計画をもとに総論を検討し、再開発の仕組み、特典、疑問点、心配点などについて充分に意見交換し研究する」ことを目的に「宮村地区街づくり協議会」が設立されました。
10月19日には「桜田睦会地区街づくり懇談会」が桜田神社社務所で開催され18名が集まりました。呼びかけ人は桜田睦会会長の石井源一さんと副会長の伊藤真吉さん。11月1日には井上忠次郎さん、備前島築さんの呼びかけで「日ヶ窪親和会地区(旧44番地区)街づくり懇談会」が開催され、29名が集まりました。
こうして、名称は協議会や懇談会や考える会であったり、体制も様々だったが、5つの町会・自治会を単位とした話し合いがスタートすることになりました。5地区とも毎月1~2回程度の会合を開いて話し合いを進めていきました。その後10数年にわたって続く会合シーズンの幕開けです。

3)2つ目の連絡事務所

こうした動きを受けてテレビ朝日と森ビルは昭和63年(1988)11月に地区内2つ目の連絡事務所を開設することにしました。1つ目は南側住宅地の宮村町会内だったが、2つ目は北側の材木町町会内に置いた。両方とも30人から40人程度の会合を開ける会議室を備えており、協議会、懇談会の会場として利用されました。
協議会、懇談会でのテーマは再開発事業の仕組み、個別建替えと再開発事業の比較、再開発と容積率、補償費、補助金、再開発と税金、都市計画決定の内容、権利変換の仕組みと内容、借地借家法、店舗計画の検討内容、住宅計画の検討内容、再開発地区計画について、また他地区の再開発事例研究など幅広く充実しており、回を重ねるにつれて参加者の懇親も深まってきました。大川端リバーシティやアークヒルズ、御殿山ヒルズなど他地区事例の見学会も行い、それぞれ多数の参加者を得ました。

4)事業推進基本計画の発表

モデルプラン「六本木六丁目地区再開発基本計画報告書」より
モデルプラン「六本木六丁目地区再開発基本計画報告書」より

地元の町会単位での勉強会が進んでいる一方で、港区は「再開発基本計画策定調査」発表後、平成元年度に新たな予算を取り「市街地再開発事業推進基本計画策定調査」を行い、より一歩進んだ計画の策定にかかりました。この「事業推進基本計画」が発表されたのが平成2年3月。港区主催の勉強会が開かれたのが7月のことでした。
この事業推進基本計画の中ではかなり具体的に街全体の進むべき姿が記されていました。「再開発基本計画」の中では、テレビ朝日を中心とした地区の高台の部分(海抜31mの部分)は再開発事業で、また、その南側の住宅地域は再開発事業または共同建替えによる地区施設・道路などの整備、という二段構えの考え方が示されていました。
しかし「事業推進基本計画」においては、地区全体を組合施行の市街地再開発事業で行うという考えが明確に打ち出され、モデルプランの中で地区全体の概ねの施設配置図まで具体的に提案されたものでした。このときに示されたオフィス・ホテル・放送センター・住宅の基本配置は、ほば現在の六本木ヒルズの施設配置に承継されています。地区中央北寄りにオフィスタワー、その足元にホテル、地区の東側に放送センター、南側の元麻布に連続する地区に住宅棟が配置されました。
部分的な再開発事業から地区全体の再開発事業に踏み込んだ考え方が示された背景は、地区の重要課題解決のために出来るだけ広い範囲での開発が望まれたことと、町会単位の勉強会により、地区南側の住宅地の権利者の間で地区全体の再開発事業が必要であることが強く認識され、一体での再開発への意向が高まってきたためです。
最も南側の宮村町会の副町会長であった原保さんは天保11年(1840)からこの地で営業している金魚の卸売業の5代目社長。戦災の折に強制疎開でこの地を離れ、その間に空襲があり、一面が焼け野原になったという経験を持っています。終戦後、狭かった道路の区画整理の話もあったが、結局実現されず、戦前同様の狭い道路のままでバラックが立ち並び、その後、個別の建替えなどによって密集住宅地が形成されていくのを目の当たりにしてきました。「今、この再開発事業に乗らなければ、この住宅地の地形は百年たっても変わらないだろう。入口が1ヵ所、出口が1ヵ所で、もし震災などで火災が起こって東側からの風が吹き込めば、この地区は全部燃えてしまう」と強い危機感を持って、地区全体での再開発に向かって地元の取りまとめに奔走してくれました。原保さんは、後に再開発組合の理事長となります。