1986年に民間初の大規模再開発として誕生したアークヒルズは今年で25周年を迎えました。
六本木ヒルズや表参道ヒルズに代表される「ヒルズ」シリーズの最初のプロジェクトであるアークヒルズは、日本のインテリジェンスビルの先駆けとして外資系金融機関が多く入居し、東京を代表する国際金融センターの顔となりました。
また、入居する外資系金融機関のワーカーなどを対象に登場した家具付き賃貸住宅は、国際的な職住近接のライフスタイルを提案し、外国人向けの賃貸マンションブームもここから始まりました。

アークヒルズの再開発に地権者として参加し、完成後はアークタワーズにお住まいになり、現在もアーク森ビル3Fでクイックフォト・ナガタを営む永田さんに、再開発前のお話やアークヒルズでの25年間について伺いました。

111108_3.jpg

現在のアークヒルズ

111108_2.jpg

アークヒルズ開発前の家並み

111108_1.jpg

アーク森ビル3Fで、クイックフォト・ナガタを営む永田さん

111108_4.jpg

今年3月にアーク森ビルで開催した
写真クラブ「東京家族」写真展

 

ご近所との付き合いは開発後も変わりません

アークヒルズができる前、この辺りは、いわゆる下町で、古い木造の家や長屋が並んでいました。路地がたくさんあって、通り沿いに商店街が並び、昔のマンガで「ど根性ガエル」というのがありましたが、まさにそこに出てくる町の雰囲気です。
私の家は、ちょうど今の焼き鳥屋「赤坂とさか」の辺りにあって、私が小さかったころは、おじいさんが果物屋を営んでいました。

再開発は未知。でも楽しみでした

再開発にともなって、高校生の頃に引っ越しをして、21歳の時にアークヒルズが完成し、以降、アークタワーズの20階に住んでいます。またアークヒルズオープンと同時に写真屋を始めました。確かに職住近接ですね。
再開発は未知の世界でしたが、悪くなるはずがないと分かっていたので取り壊すのはさびしいけれど楽しみでした。
完成後は街の景色は一変しました。当時、アークヒルズは「インテリジェントビル」として注目されていたこともあって、正直「こんなところに住んでいいのかな?」と。それまでは、和室しかない木造の2階建てに住んでいて、アークヒルズに引っ越してきて初めて洋室で生活することになったくらいですし、そもそも当時は超高層に住んでいる人なんて誰もいなかったので不思議な気持ちでした。
とはいえ、もともと下町だった頃の人と人との付き合いもあまり変わっていませんし、今でも例えばどこかに旅行に行った時などにはご近所の方にお土産を持っていったりもします。通り沿いに横にならんでいた近所とのつながりが、超高層になって縦につながったという感じですね。

故郷の風景として思い浮かべるアークヒルズ

23歳で結婚し、24歳で子供が生まれました。今では長男が社会人になり長女も高校生になりました。でも、25年が経ったと言われても、そんなに経った実感はありませんね。設備も様子も常に新しくなっているので古くなった感じもしませんし、昔からのお祭りや餅つきなども変わらず続いています。
当初は超高層での生活や颯爽とアーク森ビルに入っていくビジネスマンを見てどきどきしましたが、毎日をこの街で生活していると、それが当たり前の日常になってしまうんですね。子供たちは生まれたときからアークヒルズで育ち、この街で遊び、生活してきたので、故郷の風景として思い浮かべるのはアークヒルズです。それは私にとってもそうです。

 

アークヒルズに勤めるビジネスマンや住民が集まり結成された写真クラブ「東京家族」の主催もしている永田さん。今年3月には、アーク森ビルのエントランスにて、写真展を開催していただきました。再開発事業で、アークヒルズの外周道路に新たに植樹された桜。当時はまだ小さい苗木だったソメイヨシノ150本は、25年の時を経て大きな桜トンネルをつくるまでに成長し、都心の春の名所と数えられるようになりました。これからも永田さんには、成熟していくアークヒルズの姿を見守り続けていただきたいです。

クイックフォト・ナガタ:http://www.qpnagata.co.jp/