森ビルでは、春と秋の年2回、外部から講師をお招きして、「安全」について考える社内(関係者も含む)勉強会(講演会)を行っています。9月25日の講演会では、盲ろう者であり、東京大学 先端科学技術研究センター教授(当時准教授)である福島智先生をお招きし、「安全と利便性を支えるコミュニケーション」をテーマにお話いただきました。
先生は、9歳で失明し、18歳で失聴された全盲ろう者で、お母様とご自分であみ出した「指点字」という方法を使ってコミュニケーションをされています。講演でもお二人の指点字通訳者とともに壇上に立たれました。
また、会場では、当日参加した聴覚障害の方のために、前方のスクリーンに講演内容を同時通訳のように活字に打ち出すというパソコン通訳も行なわれました。
先生は、ご自身の体験からわかりやすい具体例を交えて、障害者と接する際に気をつけて欲しいこと、施設の設計を考えるときに何を優先すべきか、またコミュニケーションの大切さなどについてお話されました。神戸出身の関西人ということで、ユーモアたっぷりの先生のお話ぶりに、会場は笑いに包まれながらも、真剣に耳を傾ける参加者の表情が印象的な熱気溢れる講演会となりました。

真ん中が福島先生、両側には指点字通訳のお二人

会場の向かって右側がパソコン通訳のスクリーン

実体験を交えてお話くださる先生

会場には多くの森ビル社員や店舗関係者などが集まりました
以下、講演の要旨をご紹介します。
■ 障害者に接するときに気をつけて欲しいこと
「見えなくて聞こえない」ということは、皆さんにとって非常に想像しづらいことでしょう。障害者の視点、私の体験からいくつか説明します。例えば、1人で歩いている視覚障害者が少しまごついているなと思った時、どこへ行きたいのか本人の意思も確認せず、何も言わずにいきなり腕を引っ張るような人がいます。まずはふつうに「何か手伝いますか?」などと声をかけることが大切です。次に難しいのが手の引き方ですが、これは掴んで引っ張られるよりも、逆に視覚障害者が掴むようにしていいただけると有難いです。また、電車やバスなどで席があいていて椅子を勧められる場合がありますが、問題はどこに座るかの場所の伝え方です。怖いのは、後ろ向きに押されるケース、できれば、杖や手で席や背もたれを触らせて欲しい。1か所触るだけで、椅子がどの方向に向いているか、どれくらいの高さか、などたくさんの情報が伝わります。
■ 障害者だから「特別」と考えずに
私がトイレで用を済ませた後、親切な人がやってきて、腕をつかんで、出口まで連れて行ってくれようとする。でも自分は手を洗いたい、普通なら当たり前のことです。だけど、親切な人は「障害者だから」早く連れていってあげなくてはと考えてしまう。「障害者だから」と意識せずに、普通の市民として接する時に、どう動くかを考えれば自然とわかってくると思います。
また、障害者用のトイレには、一般的に言って、石けんが置いてある所が非常に少ない。立派なビルや空港でもない所があります。それもやはり、障害者用トイレだから「特別」という発想が関係するのではないでしょうか。普通のトイレと考えれば当然石けんを置くはずで、小さなことのようですが、そういう部分にも障害者に対する「特別」が現れていると思います。
■ 最優先にするのは、「イザという時、生死に関わるようなこと」
東大キャンパスの新しいビルを設計するにあたり、バリアフリー分野の担当として関わりました。私は建築や設計については専門外なので、車椅子を使っている1級建築士の知り合いに話を聞いたところ、彼は「防火扉の下かまち」が盲点だ、と言いました。下かまちとは、防火扉が閉まった際に、必要に応じて開けられるようになっているドアの下にある金属製の敷居のことです。この敷居があると、たとえば、車椅子を使っている研究者が1人でいるときに扉が閉まってしまったら、抜け出せなくなってしまう。これは一つの例に過ぎませんが、言えることは、やはり障害を持つ当事者の意見や要望、声を聞くことがいかに大事かということです。私自身は、建築や設計のことは専門外ですが、ただ、自分が見えなくて聞こえないというハンデがあると、安全という問題はすごく考えます。施設を考えるとき、こういうものがあると便利だなというものと、めったに使わないが、ないと人が死ぬかも知れない、いざというときに助からないかもしれない、というものを比較したとき、一番優先的に取り組むべきなのは、命に関わる可能性のあるものだと思います。
■ 大きなビルで火災がおこったとき、障害者にどう伝えるか
たとえば、聴覚障害者がトイレの個室に入っていたらどうするのか。ブザーが聞こえない、廊下の警報のライトが見えないという死角にいたら、どうするか。この問題への最も原始的な対処方法は、各トイレを回って、鍵がかかっている個室がないかを見て回りノックする。ノックの音は聞こえないけれど、ドンドンとやれば振動は伝わります。「聞こえないからノックはだめ」ではない、私が言いたいのは、障害者の立場にたって考えてみることです。そのためにも、普段障害者と接する時、マニュアル的に接するのではなく、レクリエーションやサークルなど、何かを一緒に楽しむような関わり方をしていくと、すごく距離が縮まり、理解を深めることができるのではないかと思います。
■ 人が生きていく上でのエネルギー源はコミュニケーション
聴覚障害者の人は、コミュニケーションの蚊帳の外におかれることが多い。それはとてもつまらないことです。周りの人が皆、笑っている。ただ、何で笑ってるか分からない。見えなくて聞こえない私の経験で言えば、たとえば、トランプをやった時、点字トランプだからゲームはできるのですが、全然面白くない。なぜかというと、まわりの友達の何でもない会話、「ワー」とか「やった!」とか「おまえアホか」とか、そういったどうでもいい会話が伝わらないがために、まったく面白くないのです。その後、指点字でそういったことも伝えてもらいながら遊ぶことができたときにはとても楽しく、以前の私に戻ったような、そんな気がしました。
その時、私がつくづく思ったのは、人が生きていくエネルギー源、あるいは他者と関わる時の嬉しさや楽しさは、コミュニケーションがないとどうにもならないということです。水や食べ物や酸素はとても大事だけれど、コミュニケーションがなかったら、人は生きるのがすごく難しい。見えて聞こえて、たくさんの情報交換をして、表面的にはたくさんしゃべっているけれど、実はほとんど何も伝わっていないということがあると思います。
もっと悪質な場合、意図的にコミュニケーションの輪から誰かを外してしまう。これは、あからさまな攻撃よりも心にこたえる。コミュニケーションを断絶することは、すごく心にこたえることだと思います。私自身がコミュニケーションをなくしてしまう、奪われてしまうという経験をして、そこからまたよみがえるという経験をしたために、今申し上げたことを、理屈抜きで自分の体験として強く感じています。
おそらく、障害者との関わりをどうするか考えたり、あるいは障害を抜きにして、職場の中での人間関係をどうするか、家族との関係はどうか、そういうことを考えても、結局はコミュニケーションに行き着くと思います。
そう言いながら、私もかみさんとどこまでコミュニケーションが出来ているか、甚だ心許ないと思いますので、自戒の念を込めて申し上げました。
【福島 智氏 プロフィール】
1962年12月25日生まれ。9歳で失明、18歳で失聴、全盲ろう者となる。1983年、東京都立大学に入学(教育学専攻)。日本で初めて盲ろう大学生となる。同大博士課程を終え、同大の助手、国立金沢大学教育学部助教授(障害者教育)を経て、2001年から東京大学先端科学技術研究センターバリアフリー分野担当准教授となる。2008年10月、東京大学先端科学技術研究センター教授に就任。