森ビル株式会社

生涯"イラストレーター"宇野亜喜良が語る、仕事と芸術のこと(第1回)

2013年02月01日

今月のゲスト:イラストレーター 宇野亜喜良さん

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2月14日より『宇野亜喜良展 さよならの城』がROPPONGI HILLS A/D GALLERYで開催されます。メインとして展示されるのは、谷川俊太郎さんとの初仕事となったイラスト。「1960年代に出版された寺山修司『さよならの城』のセンチメンタルな少女性をテーマにした」と語る宇野亜喜良さんの言葉ひとつひとつから、今回の展覧会にかける想いが伝わってきました。
2月16日から公開される、劇団「新宿梁山泊」による舞台『ロミオとジュリエット』の美術も担当。従来のイラストレーターの枠にとらわれず、演劇や広告など幅広い仕事をしながらも自らを「イラストレーター」と名乗ることにこだわる理由とは。今年で79歳を迎える現在もなお第一線で活躍する宇野さんに、変容する時代の中で歩んできたイラストレーターという仕事への考え方を伺いました。

自分の職業は、ずっと「イラストレーター」

50年以上、「イラストレーター」という肩書きで仕事をしています。イラストを描く以外に演劇などの仕事も多いのですが、そういったものもすべてひっくるめて「イラストレーション」であると考えています。
例えば絵を描くときというのは、それが小説にしろ企業広告にしろ、すでに与えられたテーマがあります。その上で、メディアの質や伝えるべき相手なども確認しなくてはいけない。作品と言っても、自分自身の考えですべてが作れるわけではありません。
演劇も同じで、まず観客がいて、演じる役者がいて、そして会場がある。あらかじめ決められた条件の中で、何かをやっていくという意味においては、舞台美術も「イラストレーション」という言葉で言える気がします。本来ならその仕事に応じて、「舞台美術家」とか「画家」などと言うのだろうけど、僕は「イラストレーター」という言葉で通しています。

要求されたテーマを共同作業で実現していく

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HILLSCAST収録風景

若いころは、「決められた題材に沿って作品を作る」ということに多少抵抗があって、もっと自分の色を主張したいと思っていました。今は人が要求してくれる自分というものの方が、むしろ面白いと感じています。
インパクトがあって、それを見た人が「劇場まで足を運びたい」と思うようなポスターが作れたら、演出家も観客も喜んでくれる。そういうことを計算して、プロダクションなんかと一緒に作品を作る方が、アトリエの中だけで作業が完結する個人仕事よりも楽しいですね。
ひとりよりも、何人かでの作業の方が僕は好きです。演劇のポスターの場合だと、キャスティングが決まり、役者の顔や声が分かったあと、どんどんイメージを発酵させていきます。複数の人たちと会話をしながら、ひとつの作品を生み出していく感じですね。

プロフール

1934年名古屋生まれ。1952年名古屋市立工芸高校図案科卒業。画家の宮脇晴に師事後、カルピス食品工業、日本デザインセンターを経てフリー。1964年スタジオ・イルフイルを設立。翌年離脱後、同世代を代表するイラストレーターと共に東京イラストレーターズ・クラブ設立。日宣美特選、日宣美会員賞、講談社出版文化賞、サンリオ美術賞、赤い鳥挿絵賞、日本絵本賞等を受賞。1999年紫綬褒章受章。2010年旭日小綬章受章。
主な作品に「宇野亜喜良60年代ポスター集」「サロメ」「少女からの手紙」「奥の横道」「MONO AQUIRAX +」、絵本に「あのこ」(今江祥智・文)「白猫亭」「上海異人娼館」(寺山修司・原作)、詩画集「ami」等多数。キュレーターや舞台美術も手掛ける。