森ビル株式会社

天才美術家・会田誠、その天才たる所以を知る(第3回)

2012年12月14日

今月のゲスト:美術家 会田誠さん

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森美術館で、2012年11月17日〜2013年3月31日まで開催されている『会田誠展:天才でごめんなさい』。会田誠の個展が美術館で開催されるのは今回が初めて。その上、展示作品数は、過去の作品だけでなく新作も含め、100点を上回ります。「お化け屋敷を周るように、気楽に入って、ギョッとして帰ってほしい」と話す会田さん。実は現在展示中の新作は、会期が始まってもなお未完。美術館閉館後の徹夜での制作活動に奔走している最中だそうです。どのような思いを込められて新作が仕上げられていくのか、貴重な機会にお話しを伺うことができました。

美術家にとって住みやすい街とそうでない街

東京は、美術家にとっては住みにくい街かもしれませんね。とにかく、家賃が高いというのはアーティストにとっては死活問題です。デビュー前のアーティストは貧乏だ、ということは世界中で決まっていることですから、東京の相場で暮らしていくのは難しいでしょう。
あとは東京というよりは日本という国自体がですが、アートという自由度が必要なものが容認されるには厳しい街だなという印象があります。最近では、かなり多くの才能あるアーティストが日本を見限って、都市の規模に比べて家賃の安いベルリンやロンドンで活動していますが、僕は、ハードだからこそやりがいがあるという思いもあるんです。もっと貧乏で生活が厳しかったときも、東京でやっていかなければいけないという思いがありました。

それでもなぜ東京で活動を続けていくのか

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《ピンクの部屋》2011年
撮影:渡邉 修 Courtesy: Mizuma Art Gallery

自分が一アーティストとして成功するのも大切ですが、自分のいるエリアや街、国が面白くなるということが僕の一つの理想です。「イタリアルネサンス」や、「ブリティッシュロック」といった具合に、その地域の名前が歴史に残るような一つの文化の塊が生まれることを夢見ています。
東京のアートはその状態からはまだほど遠いですが、素質はあるはずです。家賃が高い、自由度が低い、また、現代美術を経済的に支えてくれる大物パトロンやコレクターがいない、と悪条件を挙げれば切りがないのですが、若い作り手を見ていると、ルネサンスまでいかずともある「東京アート」を一塊で押し出せるポテンシャルを感じますね。

『会田誠展:天才でごめんなさい』

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「会田誠展:天才でごめんなさい」展示風景
撮影:渡邉 修 Courtesy: Mizuma Art Gallery

会期:2012年11月17日(土)〜2013年3月31日(日)
会場:森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
主催:森美術館、企画:片岡真実(森美術館チーフ・キュレーター)
協力:ミヅマアートギャラリー、シャンパーニュ ニコラ・フィアット、ボンベイ・サファイア

プロフール

1965年新潟県生まれ。1991年東京藝術大学大学院美術研究科修了。美少女、戦争画、サラリーマンなど、社会や歴史、現代と近代以前、西洋と東洋の境界を自由に往来し、奇想天外な対比や痛烈な批評性を提示する作風で、幅広い世代から圧倒的な支持を得ている。国内外の展覧会に多数参加。
主な展覧会に「六本木クロッシング:日本美術の新しい展望2004」(森美術館、2004年)、「ビリーフ」(シンガポールビエンナーレ、2006年)、「アートで候 会田誠・山口晃展」(上野の森美術館、2007年)、「バイバイキティ!!! 天国と地獄の狭間で―日本現代アートの今―」(ジャパン・ソサエティ、ニューヨーク、2011年)、「ベスト・タイム、ワースト・タイム 現代美術の終末と再生」(第1回キエフ国際現代美術ビエンナーレ、ウクライナ、2012年)など。また昭和40年生まれのアーティストで結成された「昭和40年会」、美術家の妻・岡田裕子主宰のオルタナティブ人形劇団「劇団☆死期」、小説やマンガの執筆など活動は多岐にわたる。