森ビル株式会社

東京だけが持つ、軽さと便利さ(第3回)

2012年04月13日

今月のゲスト:音楽プロデューサー 藤原ヒロシさん

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音楽活動やデザインを通して、東京のストリートカルチャーを牽引してきた藤原ヒロシさん。10代で単身渡英以降、東京に居を構えつつ、国内外を多忙に行き来する藤原さんが、「世界中で東京が一番好きだ」と話してくれました。その確かな審美眼で、手がけた様々のクリエイションが高く評価されている目利き。
彼が「好きだ」というのは東京のどんな部分なのか。1年程前から積極的に行っている自身のライブ活動や、日々の生活で見えている東京の姿について、藤原さんの言葉で語っていただきました。

出身地である伊勢に立ち返る
365日行われている“お祭り”とは

僕は伊勢出身で、先日取材で伊勢神宮の“お祭り”に入れてもらう機会がありました。ここで言う“お祭り”は、神様にお供えする食事を持っていくこと。365日、毎日行われていて、年に13回か14回くらい特別な日があるそうです。
夜22時と夜中2時にお供えを持っていくのですが、一度使った食器はもう二度と使わないということになっているそう。80歳は超えているであろう祭主様が、夜の寒いなか、真っ白い装束を着てお供えするという様子を特別に見せてもらうことができました。

知らなかった出身地の一大行事

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伊勢神宮には、20年に1度建物をそっくり建て替える“遷宮”があります。その機会に建物のなかにある1,400個の宝物もすべて同じものを作り直すのですが、もちろん中には今では採れないような素材もある。
絶滅してしまった朱鷲の羽は、あと何十回かの遷宮のために羽だけ保存してあるらしいです。また、1300年くらい前に伊勢神宮にあるヒノキを全て切ってしまったそうで、以降、他のエリアからヒノキだけ取り寄せて遷宮用の建物を建てていたのです。その伊勢神宮の森を復活させるために、80年前にヒノキを植えた人たちがいて、次の遷宮で1000何百年ぶりかにオリジナルのヒノキを使って遷宮することになっていると言います。代々森を守ってきた人たちにとっては、本当に感無量といった一大イベント。そんなエピソードをもっと人々に伝えていったらいいのになと思いながら話を聞いていました。

プロフール

1964年、三重県伊勢市生まれ。音楽プロデューサー、fragment design主宰。10代の頃に単身渡英し、帰国後DJとして活動を開始。以後、音楽、ファッションを中心としたクリエイションを展開し、ストリートカルチャーのパイオニアとして評価を得る。現在は、真心ブラザーズのYO-KINGとのユニットAOEQからソロまで幅広い音楽活動を展開しながら、様々な分野にデザインを提供している。