森ビル株式会社

巨人V9戦士が伝えたい、野球と人生の魅力(第3回)

2011年10月14日

今月のゲスト:野球解説者 柴田 勲さん

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今年、プロ野球に小さからぬ影響を与えた統一球の変更。一般的に「打球が飛びづらくなった」と言われる新しい統一球が、プロ野球界に変換期をもたらしたと語るのは、元プロ野球選手の柴田勲さんです。甲子園で二度優勝投手に輝き、その後入団した読売巨人軍では王貞治、長嶋茂雄らとV9の黄金時代を築いた名選手。「銀座の盗塁王」という異名を持つ柴田さんは、豪快なプライベートでも注目を集めました。
現役を引退してから野球解説者・名球会の会員として未来のプロ選手を育てる活動に力を注ぐ柴田さんに、野球の魅力、そして元気に過ごす秘訣を聞きました。

第3回 都会で生まれ、都会を楽しんでいる
「のんびりしたい」とは思わない

生まれ育った街は、横浜の港のすぐ近くでした。戦後間もない時で、僕らの学校の目の前が米軍の住宅。最先端の水着を着た外国の女性が泳いでいるのを目の当たりにして、「日本人はふんどしで、外国の人は水着を着るんだ」なんて思うような街で育った子供時代でした。
だから、田んぼや畑も縁がないので郷愁といったものがないんですね。だからか、「何もせずにのんびり過ごす」ということは僕の辞書にはないんです(笑)。いつまでたっても、「忙しい、忙しい」と言いながら、遊ぶときは友達と楽しんで、街のなかでガサガサしながら一生終わっていくのかなという感じはしていますね。「のんびりしたいな」と思うことは、まず、ないです。

長く慣れ親しんでいる赤坂エリア

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HILLS CAST収録風景

独身で巨人軍の合宿所を出てからは、赤坂にマンションを買って結婚するまで母親と住んでいました。試合が終わったら、赤坂や銀座で食事をして、一杯飲んで帰る、という生活をしていたので貯金はゼロでしたよ(笑)。
今では年に一度、森稔社長や小泉元総理なんかと集まって、このあたりで美味しいものを食べる食事会に参加させてもらっています。現役時代からなので、この赤坂のエリアはもう縄張りのようなものでしょうか(笑)。

プロフール

1944年、神奈川県生まれ。元プロ野球選手。野球解説者。法政二高校時代、全国選抜高校野球大会でエースとして活躍し、1960年夏大会、1961年春大会と連続して優勝投手となる。特に浪商の尾崎との投げ合いで注目を浴びる。1962年、読売巨人軍に入団。打者に転向、快足を活かした切り込み隊長として盗塁王6回と大活躍、またバッティングもスイッチヒッターを試み、赤い手袋をトレードマークに優秀な成績を残した。1981年、現役を引退。その後、巨人軍のコーチなどを経て、現在は解説者として野球の魅力を広く伝えている。