森ビル株式会社

建築を通して、都市と時代を見つめる(第2回)

2011年09月09日

今月のゲスト:建築史家・建築家 藤森照信さん

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建築史家・建築家の藤森照信さんは、未来の都市を作るヒントは「メタボリズム」にあると言います。「メタボリズム」は、1960年代に若い建築家の間で起きた「変化」をキーワードとする建築運動。森美術館では、『メタボリズムの未来都市展』が9月17日から1月15日まで開催されます。展覧会に先駆けて、建築に馴染みがないと聞きなれない「メタボリズム」の解説から、なぜ今「メタボリズム」なのか。そして現在日本が抱えている都市の問題まで、藤森さんにお話をしていただきました。

第2回 前例のない不動産会社だった森ビル
森ビルが初めて「山の手」に踏み込んだ

森ビルは、所謂「山の手」というエリアに進出した最初の会社です。森ビル以前の、三井不動産や三菱地所が行った不動産開発は、日本橋や丸の内といった平地で行われていました。それを森ビルが、芝からスタートして山の手という場所を切り開いていった。
六本木ヒルズは、それを象徴する建物だと思います。みなさんもご存知のように、もともと三井不動産も三菱地所も、東急不動産も住友不動産もみんな本業は不動産ではなかったんです。ところが森ビルは、創業者が実家の稼業だった米屋の建物を担保にして始めた会社で、そういう意味では金融のバックを持たず、本業がビル会社であったという、ほとんど前例のない会社だと言えるでしょう。

都市の施設として興味深い森美術館

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虎ノ門37森ビル

都市の先端の動きに関心がある我々建築史家にとっては、山の手という優れた環境に建つビルの中の森美術館というものは、それまでにない立地で非常に興味深い施設です。メタボリズム自体が、宗教建築や農村の住宅ではなく、あくまで都市の先端的なものをテーマに出てきたものなので、森美術館のような場所で展覧会が開かれるのは非常に興味深いですね。
ほかに森ビルを象徴する建物に、「ナンバービル」があります。一度、創業者の森泰吉郎さんに面白い話を聞いたことがありました。「三井や三菱に総量で勝てるとは思わないけれど、数で勝とうと思った」とおっしゃっていて、それでビルにナンバーをふっていたそうです。

プロフール

建築史家・建築家。1946年、長野県生まれ。茅野市で神長官守矢史料館(1991年)を設計し建築家としてデビュー。自然素材や植物を用いて、これまでに20作品以上の独創的な建築を創り続けている。藤森、友人、施主からなる「縄文建築団」が建築施工に参加し手作りすることもその特徴となっている。1997年、作家・赤瀬川原平の自宅として設計した「ニラハウス」で第29回日本芸術大賞。2001年には、「熊本県立農業大学校学生寮」で日本建築学会賞(作品)を受賞。2006年の第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展では日本館のコミッショナー(兼出品者)に就任、自身の建築と、路上から観察できる森羅万象を対象とし、無用の「美」を採集する路上観察を紹介した。