森ビル株式会社

伝説のボクサーが、今子供達に伝えたいこと(第5回)

2011年07月29日

今月のゲスト:ファイティング原田ジム会長/日本プロボクシング協会終身名誉会長 ファイティング原田さん

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「最も偉大な日本人ボクサー」として、ボクシングの歴史に名を刻むファイティング原田さん。日本人初の2階級制覇を達成し、アメリカのボクシング殿堂に選ばれた唯一の日本人です。現在は、自らの名前を冠した「ファイティング原田ジム」を主宰し、後進の指導に当たっています。
四半世紀、ボクシング一筋。自身の現役時代からは、練習の方法も選手のモチベーションも変わりました。それでも変わらないボクシングの素晴らしさに魅せられて、日々子供達と向き合う原田さんにお話を伺いました。

第5回 「ボクシングの原田」と呼ばれたい
良いライバルに恵まれた

僕は、良いライバルに恵まれていました。海老原博幸と青木勝利、それと僕でフライ級三羽ガラスと呼ばれたこともあったのですが、僕はそのなかで一番ドンジリ(笑)。パンチもあってスマートでウエイトでも苦労のないふたりに比べて、僕は背も小さいし太りやすい体質でした。だから、一生懸命やるしかなかった。彼らが15km走ったら僕は20km走らなくてはいけない。
負けられないからそうしてきたことが、僕を強くしてくれました。本気で減量して厳しい練習を積んだ男達がなぐりあって、血を流して、最終ラウンドのゴングが鳴れば汗びっしょりの体で涙を流しながら抱き合う。本気で戦ったもの同士がお互い「ご苦労さん」といって肩をたたける、ボクシングは素晴らしいスポーツですよ。

全てボクシングに繋げてしまう

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僕は、「ボクシングの原田」と言われ続けたいんです。ボクシング選手でも、引退後色々なことに挑戦していく方もいますが、僕にはボクシングしかない。それが良いと思っているんです。他にも好きなものはありますよ。例えば、ボクシングを始めるまでは野球をやっていたので、今でも観戦するのは好きです。でも野球を見ていても「野球選手はよく走っているな。ボクシングもあれだけ走れと言わなくちゃな」と、どうしてもボクシングのことを考えてしまいます。

プロフール

1943年、東京都生まれ。1960年、笹崎ジムからプロデビュー。1962年、史上最年少(19歳)で世界フライ級王者となる。1965年、世界バンダム級王者となり、日本史上初の2階級制覇を達成。以後4度防衛する。1989年、全日本プロボクシング協会会長に就任。翌年平成2年には、日本人で初めて米国殿堂入りを果たした。1970年1月、ファメションとの再戦にKO負けした試合を最後に引退。62戦55勝(23KO)7敗。日本人には一度も負けていない。現ファイティング原田ジム会長ならびに日本プロボクシング協会終身名誉会長。