HILLS CAST
“東京をおもしろくするアイデア”を持ったゲストをお迎えしてお届けする「HILLS CAST」は、J-WAVEのラジオ番組「森ビル presents 東京コンシェルジュ」内で放送していた森ビルのラジオCMです。
※掲載内容は、取材・放送時点のものです。
伝説のボクサーが、今子供達に伝えたいこと(第2回)
2011年07月08日
今月のゲスト:ファイティング原田ジム会長/日本プロボクシング協会終身名誉会長
ファイティング原田さん

「最も偉大な日本人ボクサー」として、ボクシングの歴史に名を刻むファイティング原田さん。日本人初の2階級制覇を達成し、アメリカのボクシング殿堂に選ばれた唯一の日本人です。現在は、自らの名前を冠した「ファイティング原田ジム」を主宰し、後進の指導に当たっています。
四半世紀、ボクシング一筋。自身の現役時代からは、練習の方法も選手のモチベーションも変わりました。それでも変わらないボクシングの素晴らしさに魅せられて、日々子供達と向き合う原田さんにお話を伺いました。
第2回 子供達の意識と練習の変化のなかで
苦しみと引き換えに強さを得た
僕らの時代と今とでは、ボクシングの練習のやり方も変わりました。僕らの時代は、「水も飲めない時代」。
僕は減量に大変苦労して、時には試合までに20kg減量しなくてはならないなんてこともあったのですが最後の1kgくらいからはどうしても落ちないんです。水を飲んだだけで目方が上がってしまうので、食べ物はおろか水まで必死に我慢していました。現代では信じられない話ですが、試合の前には会長に水道の元栓を閉められてしまって蛇口をひねっても水が出ないんです。唯一ジャバーっと水が流れるのがトイレだったので、その時にはトイレの水でも飲みたいくらいの思いに駆られていました。『あしたのジョー』にも似たシーンがあるのですが、僕の自伝かというくらいあの漫画の世界の通りです。
でも、あれだけの減量ができたからこそ頑張れるんです。「あれだけ苦しんだんだから、絶対に負けたくない」という気持ちになるじゃないですか。勝負には、上手い下手の技術面ももちろん関係はありますが、苦しんだやつは頑張る。苦しみと引き換えに、強みを得ているんだと思います。
体の感覚を信じてほしい

今の子供達は本も読んでいて賢くて、頭で考えた理屈で動こうとする子も多いです。でも理屈通りに体を動かしてもなかなかその通りにはいかないんですよ。だから難しいし、面白い。
僕は気持ちと一緒に体が動いていたから、今の子供達にもその感覚をわかってほしい。例えば、「お前、一生懸命走れよ」というと「走っています」と答える。どれくらい走ったのか聞くと、大したことないですからね。自分が苦しくてもそれ以上に走ることや減量の苦しみを覚えると、感覚が研ぎ澄まされていきます。それを伝えたいけれど、感覚は自分でやってみないと得られませんから、なかなか難しいところでもあります。
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プロフール
1943年、東京都生まれ。1960年、笹崎ジムからプロデビュー。1962年、史上最年少(19歳)で世界フライ級王者となる。1965年、世界バンダム級王者となり、日本史上初の2階級制覇を達成。以後4度防衛する。1989年、全日本プロボクシング協会会長に就任。翌年平成2年には、日本人で初めて米国殿堂入りを果たした。1970年1月、ファメションとの再戦にKO負けした試合を最後に引退。62戦55勝(23KO)7敗。日本人には一度も負けていない。現ファイティング原田ジム会長ならびに日本プロボクシング協会終身名誉会長。