森ビル株式会社

都市がもつ歴史の痕跡に耳を澄ませる(第2回)

2011年04月08日

今月のゲスト:作家 木内 昇(きうち・のぼり)さん

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明治初期の遊廓で繰り広げられる人間模様を描いた『漂砂のうたう』(集英社)で、第144回直木賞を受賞した作家の木内昇さん。光がさし、花が匂いたつようなリアルな感覚が、時代を越えて迫ってくるその世界は、どうやって紡ぎ出されるのでしょうか。
時代小説の愉しみ方、直木賞受賞後の今思うこと、そして「記憶を持つ土地に惹かれる」と話す木内さんがこれから描いてみたい場所…。低く穏やかな声が語るお話は、小説をとりまくさまざまへと広がっていきました。

第2回 直木賞受賞作『漂砂のうたう』が語ること

『漂砂のうたう』は、明治9年から10年にかけての、根津遊廓を舞台にした小説です。遊廓の立番として働く定九郎を中心に、噺家の弟子のポン太や花形の花魁である小野菊、定九郎の上司にあたる妓夫太郎の龍造といった人物が登場して話が進んでいきます。明治10年頃というと、明治維新が終わり、西南戦争が始まる直前。世の中が定まらず、古い価値感がどんどん崩れて新しいものが出てくる時期でした。その激変の時代に翻弄された人々を描いた話でもあるので、現在に通じるものがあるんじゃないかな、と思っているんです。
江戸にあった遊廓といえば吉原が有名です。根津の遊廓は、ほんの20年ほどの間、新政府の許しを得て営業したのですが、近くに東京大学ができたために洲崎へと移転し、今では根津に遊廓があったことを知る人も多くありませんし、街には痕跡も残っていません。そういうあったのかないのか分からない、どこか幻のような部分は生かしたいと考えました。

変わらぬ人間の姿に出会うことができる、時代小説というもの

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直木賞受賞作『漂砂のうたう』カバーより

私自身は、ずっと時代小説に親しんできたのですが、時代小説を今回初めて読んだ、という方もかなりいらっしゃいました。特に若い方だと、“慶応三年”って出てくるだけで、違和感を感じちゃうみたいで(笑)。
時代物には面白い作品が山ほどあって、読んでいると、不変の人間像に出会えるように思います。たとえば、自分が悩みを抱えているとする。友達に相談しても伝わらず「自分の悩みは誰とも分かち合えないんだな」と思うようなことってありますよね。そのときに、ちょっと時代をずらして見てみると、「意外に同じような史実があるんだな」「人ってこういうことを繰り返しちゃうんだな」と気づくことができて、ふっと楽になれたりするんです。自分の今いる場所とは全く違う時代にある視点から眺めることで、世界観や感じ方が変わるから、自分の中で余裕が生まれもしますし。そういう意味で、人間の過去の営みを教えてくれる時代小説は、より深く人間を知る材料にもなるもの。いろいろな視点を持たせてくれるものだと思うので、ぜひ、少しずつでも読んで、慣れていっていただけると嬉しいですね。

プロフール

1967年東京都生まれ。中央大学文学部哲学科心理学専攻卒業。出版社勤務、フリー編集者を経て、2004年『新選組 幕末の青嵐』(アスコム/集英社文庫)で小説家デビュー。09年、第2回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。11年『漂砂のうたう』(集英社)で、第144回直木賞受賞。作品に『地虫鳴く』(河出書房新社/集英社文庫)『茗荷谷の猫』(平凡社)『浮世女房洒落日記』(ソニー・マガジンズ)。