森ビル株式会社

「背広のプレーヤー」が野球を通して見つめた都市と人(第4回)

2011年03月25日

今月のゲスト:野球評論家 中畑 清さん

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読売ジャイアンツで13年間プレーし、「絶好調」のフレーズでファンの心を鷲掴みにした中畑清さん。現役を引退してからは自らを「背広のプレーヤー」と名付け、野球評論家として野球の現場から、現役選手だった頃の経験を活かした熱い言葉を送っています。
「絶好調」誕生の秘密、現在の野球界や自身の次の目標についてといった中畑さんのお話には、野球界に限らず社会全体に通じる人間関係や都市のあり方のメッセージが込められていました。

第4回 新しい環境を知ることで人は成長できる
六本木ヒルズは、人の目標となる場所

六本木ヒルズというと、お金持ちの集まるところというイメージが思い浮かぶ人も多いと思うんです。でも、イメージで判断してその場所に立ち入らないのではなくて、新しい発見のように新しい環境を体験することで、時代の変化に気付くことができるし、人間的に成長できると思っています。だから僕は田舎者代表として、「田舎者、勇気を持って、みんな集まれ!」と言いたい。
新しい環境を体験するといっても単なる観光ではなく、その環境に負けないレベルに到達できるようにすればそれは成長に繋がります。「自分の存在感がある人生を送りなさい」ということです。そのためにも、六本木ヒルズは人々の目標になるような建物だと思います。

東京の思い出の場所は、プロポーズの舞台

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HILLSCAST収録風景

森ビルは、空間を大切にして「誰でもいらっしゃい」という雰囲気を醸し出す近代的な環境づくりを、一番最初に始めたのではないでしょうか。これからさらに近代化が進む中で、人と人との触れ合いを大事にした環境を作っていってほしいと思っています。
僕は福島県出身で、子供の頃には素っ裸になって池で泳いだりできるような自然の中で育ちました。大学進学で東京に出てきて、初めはずいぶんホームシックにもかかりましたけれど、今となっては自分でもずいぶん垢ぬけたなと(笑)。そんな自分の中にある東京の思い出の場所は、母校である駒沢大学グラウンドの隣にある神社。ジャイアンツへの入団が決まる前、グラウンドを見ながら女房にプロポーズした場所なんです。

プロ野球は今も盛り上がっている

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「野球離れ」ということが度々報道されていますが、むしろ僕は野球に対しての人々の興味は膨れていると思います。子供の野球人口は増えているんですよ。マスコミが騒ぎ過ぎなのではないでしょうか。
ただ、野球そのもの営業価値は確かに薄れているかもしれません。
スポンサーがつかないから、テレビ番組でも地上波での試合実況がどんどん少なくなっている。今、プロ野球は全部で12球団。最大1日6試合。その6試合が、CSなども含めれば全部中継で見られるんですから、そこで視聴率を稼げといっても、それぞれの球団に人気が分散されているから難しいですよね。昔は、ジャイアンツが国民的人気を誇っていて、アンチ巨人の人達もジャイアンツ戦を見たわけですから、黙っていたって高い数字を保っていた。今はそういう時代ではないけれど、野球が多くの人に見られているということは変わっていないはずなんです。

今年の斉藤祐樹選手のフィーバーはすごいですね。球場で目の当たりにしましたが、とても嬉しかったです。超満員のスタンドを見ることが僕は一番嬉しいんですよ。
「いいところを見せてやろう!」と選手の気合も変わってきますから、ファンが球場に足を運んでくれるようにする環境づくりはとても大切だと思います。自分が好きな選手を見つけることで、野球観戦はぐっと面白くなります。
自分自身も、一人でも多くのファンをキャッチするというプロ意識を持ってプレーしていました。「5万人の観衆がみんな俺を見に来てくれているんだ」と、それはちょっと思い過ぎだったかもしれませんが(笑)。

プロフール

1954年福島県生まれ。駒澤大学卒業後、ドラフト3位で東京読売巨人軍入団。日本シリーズ第3戦(対西武)サヨナラ安打。大舞台に燃えて“絶好調”が代名詞となる。労働組合プロ野球選手会初代委員長を務める。プロ野球解説者、スポーツニッポン新聞社の専属評論家として活躍。東京読売巨人軍打撃コーチに就任。長嶋監督の下、念願のリーグ優勝と日本シリーズ優勝を果たして勇退。アテネオリンピック全日本野球ヘッドコーチとして参加。銅メダル獲得。現在野球評論家として活躍中。