森ビル株式会社

「背広のプレーヤー」が野球を通して見つめた都市と人(第2回)

2011年03月11日

今月のゲスト:野球評論家 中畑 清さん

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読売ジャイアンツで13年間プレーし、「絶好調」のフレーズでファンの心を鷲掴みにした中畑清さん。現役を引退してからは自らを「背広のプレーヤー」と名付け、野球評論家として野球の現場から、現役選手だった頃の経験を活かした熱い言葉を送っています。
「絶好調」誕生の秘密、現在の野球界や自身の次の目標についてといった中畑さんのお話には、野球界に限らず社会全体に通じる人間関係や都市のあり方のメッセージが込められていました。

第2回 今までもこれから先も野球人として生きていく
監督としてトップで勝負をしてみたい

長い野球人生のなかで、色々な監督を見てきました。王貞治や藤田元司、長嶋茂雄というといった人達は、こういう選手でありたい、こういう監督でありたいと、人間性にまで憧れた目印のような存在でした。その目印に向かっていった結果が、「監督をやってみたい」という今の目標に繋がっています。現役引退でユニフォームを脱いだ時からこれから先も、「一度トップで勝負したい」というのが僕の持ち続けている目標ですね。
夢で終わらせる気はありません。一度は勝負してみせますよ。僕は人に厳しく自分に甘いというタイプですから、かなり嫌われると思います。中では嫌われても現場では明るい空気を作っていきたい、「中は厳しく、仕事場は明るく」というのが、僕の理想です。

一番落ち着く場所はグラウンド

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野球という世界がなかったら今の自分はありません。グラウンドに入れば「俺はやっぱり野球人なんだ」と、落ち着いて選手達の間にもすっと入って行くことができる。今は、僕と親子以上の歳の差がある選手が大勢います。でも、どの球場でもグラウンドにいけば、「ここにいる人間は皆同じ野球人なんだ」という空気が流れているんです。
僕の現役時代を知らない選手と接していても、「ああ、昔『絶好調』と言われていたあの人かな?」と、徐々に会話が弾んでいくようになって、そんな風に人間と人間の距離を埋めていく時間も楽しく、とても新鮮な気持ちですね。
とにかくどんな環境でもコミュニケーションが大事。明るい現場を作っていきたいと思っています。

プロフール

1954年福島県生まれ。駒澤大学卒業後、ドラフト3位で東京読売巨人軍入団。日本シリーズ第3戦(対西武)サヨナラ安打。大舞台に燃えて“絶好調”が代名詞となる。労働組合プロ野球選手会初代委員長を務める。プロ野球解説者、スポーツニッポン新聞社の専属評論家として活躍。東京読売巨人軍打撃コーチに就任。長嶋監督の下、念願のリーグ優勝と日本シリーズ優勝を果たして勇退。アテネオリンピック全日本野球ヘッドコーチとして参加。銅メダル獲得。現在野球評論家として活躍中。