森ビル株式会社

「背広のプレーヤー」が野球を通して見つめた都市と人(第1回)

2011年03月04日

今月のゲスト:野球評論家 中畑 清さん

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読売ジャイアンツで13年間プレーし、「絶好調」のフレーズでファンの心を鷲掴みにした中畑清さん。現役を引退してからは自らを「背広のプレーヤー」と名付け、野球評論家として野球の現場から、現役選手だった頃の経験を活かした熱い言葉を送っています。
「絶好調」誕生の秘密、現在の野球界や自身の次の目標についてといった中畑さんのお話には、野球界に限らず社会全体に通じる人間関係や都市のあり方のメッセージが込められていました。

第1回 プロのスポーツ選手として意識してきたこと
「絶好調」という言葉に助けられてきた

僕がよく言う「絶好調」という言葉には、演出の役割があるんです。前向きに頑張って行くというのがスポーツの原点ですから、プロのスポーツ選手は、どんなに結果が悪かったとしても頭が垂れている姿を周りの人に見せてはいけないと思うんですよ。僕はそういうところまで意識してプレーをしてきたので、中途半端なプレーをする選手には納得がいかないんです。
現役の時に、長嶋茂雄監督に「調子はどうだ、清?」と聞かれて「まあまあです」と答えていたら、土井正三コーチに「監督は『まあまあです』なんて選手は絶対使わないぞ。どんな調子でもいいから『絶好調』と言え」というアドバイスをもらって、それからずっと常に「絶好調」です。
多少元気がないときでも「絶好調」と言葉に出すことによって、本当に元気になるような、良い意味で暗示にかかることもあります。だから僕は、「絶好調」という言葉に何度も助けられました。元気のない姿は見せられないというのが、良いプレッシャーになっています。

目標があったから迷うことはなかった

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プロ野球選手は、お客様に見てもらってなんぼ。グラウンドはステージで、選手は役者だと思っています。
僕が良い役者になりたいという気持ちでプレーをするようになったのは、長嶋監督の「相手と戦う前に、常にスタンドのお客さんの反応を感じてプレーをしていた」という発言から。力のない選手にはそんなことを考える余裕はないので、プロとしての意識がすごく高い発言だと言えます。僕はそんな長嶋茂雄という人に一歩でも近づきたかった。結果、足元にも及びませんでしたけれど、目標になる存在があったから迷うことはありませんでした。

プロフール

1954年福島県生まれ。駒澤大学卒業後、ドラフト3位で東京読売巨人軍入団。日本シリーズ第3戦(対西武)サヨナラ安打。大舞台に燃えて“絶好調”が代名詞となる。労働組合プロ野球選手会初代委員長を務める。プロ野球解説者、スポーツニッポン新聞社の専属評論家として活躍。東京読売巨人軍打撃コーチに就任。長嶋監督の下、念願のリーグ優勝と日本シリーズ優勝を果たして勇退。アテネオリンピック全日本野球ヘッドコーチとして参加。銅メダル獲得。現在野球評論家として活躍中。