森ビル株式会社

限界への挑戦を繰り返して築き上げたもの(第3回)

2010年10月15日

今月のゲスト:長野五輪スピードスケート金メダリスト 清水宏保さん

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長野オリンピックスピードスケートで金メダルと銅メダル、ソルトレークオリンピックでも銀メダルを獲得した清水宏保さん。日本ではマイナーだったスピード スケートという競技を自らの勝利を持ってメジャーの舞台へと引き上げ、2010年3月に引退を宣言してからも、後輩への指導や後援会やイベントへの出席を 通じてスピードスケートの素晴らしさを発信し続けています。高身長が有利とされる競技において、小柄な体型や重度の喘息患者であるという一見不利な条件を 抱えた清水さんが、金メダリストになることができた理由とは?

第3回 喘息というコンプレックスをバネに強くなった
「やれば伸びる」という手応えを掴むまで

僕は幼少期から現在まで、重度の喘息患者で、病院の先生には「喘息だから運動をしてはいけない」と言われていました。また、現在の身長も162センチなのですが、当時から小柄で、学校の先生に「世界では身長180センチ以上ないと通用しないから、スケートを続けていても大成しない」と言われていました。
その状況で、どうしたら強くなれるか自分なりに実験を繰り返してきたんです。喘息の発作が起きたときには階段の上り下りもできなくなります。1階から2階、2階から1階という運動も本当に苦しいんですが、それでも何度も挑戦しているうちに、初め3段しか上がれなかったのに、次には倍の6段上がれるようになっている。
100メートル走れなかったものが、挑戦し続ければ200メートルに伸びていく。メカニズムはわからなくても、「運動をやれば肺は強くなっていくんだ」と、幼いながら「やれば伸びていく」という手応えを自然に掴んでいきました。

自分の体を通して掴んだことを伝えたい

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現役を引退してから、啓発活動や講演活動で人の前でしゃべる機会が多くなりました。喘息患者が、ひとつのスポーツで世界レベルの優秀な結果を残した前例はあまりありません。だからこそ、僕が自分の体で実験をして結果を掴むようになるまでの体験を、自分の言葉で伝えられるようになりたい。より競技に近い部分だと、僕なりの競技生活におけるピークの作り方を伝えたい。
仕事として講演をやらせてもらっている以上は中途半端なことはできないですし、最低限の知識とスキルを身につけないといけません。これからしゃべりのプロにはなれなくても、プロ意識を持って臨むのは大切なことです。

プロフール

1974年、北海道生まれ。1998年9月NEC入社。CSR推進本部社会貢献室在籍。幼稚園からスケートを始める。91年浅間選抜500メートルで日本高校新記録を出し、全日本スプリントで総合4位に入り脚光を集める。以来長年に渡り、世界のスピードスケート短距離界の第一人者として活躍。
長野オリンピック500メートルでは金メダル、1000メートルで銅メダル、ソルトレークオリンピック・銀メダルを獲得。世界距離別選手権500mでは、 1998年~2001年4連覇。2001年大会で34秒32の世界新記録を樹立した。2010年3月5日に現役引退を表明。現在は喘息の啓蒙活動、講演会・イベントへの出演、執筆活動等、文化人として幅広く活躍中。