森ビル株式会社

限界への挑戦を繰り返して築き上げたもの(第2回)

2010年10月08日

今月のゲスト:長野五輪スピードスケート金メダリスト 清水宏保さん

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長野オリンピックスピードスケートで金メダルと銅メダル、ソルトレークオリンピックでも銀メダルを獲得した清水宏保さん。日本ではマイナーだったスピード スケートという競技を自らの勝利を持ってメジャーの舞台へと引き上げ、2010年3月に引退を宣言してからも、後輩への指導や後援会やイベントへの出席を 通じてスピードスケートの素晴らしさを発信し続けています。高身長が有利とされる競技において、小柄な体型や重度の喘息患者であるという一見不利な条件を 抱えた清水さんが、金メダリストになることができた理由とは?

第2回 スケートのモチベーションとなっていたもの
自分の体を通して実験していくこと

23歳の時に長野オリンピックで金メダルを獲ってから、引退までは10年以上選手としてスケートを続けました。よく「モチベーションとなったものは何ですか?」と質問されるのですが、長野オリンピックで金メダルを獲ったときに、さほど達成感がなかったというのが関係していると思っています。
もちろん嬉しかったですし、充実感はあったんですが、意外と達成感がなかった。それはどうことなのかということを自問自答しました。その時に競技を通じて答えを出していくことや、自分の体を通して潜在能力的なものを発揮することについて、もっと実験がしてみたいと思ったんです。それが競技を続けていく上での面白み、モチベーションになっていたのではないかと思います。

これからは自分の言葉で伝えたい

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HILLS CAST収録風景

プロのスピードスケート選手を2010年の3月に引退しました。やはり年齢は関係していますね。タイム競技というものはものすごく過酷で、自分の意思通りに身体が動いてピークを作れたのは30代前半まででした。1週間かければピークが作れたのが、年齢とともに2週間かけなければ作れなくなる。トレーニングした後に回復するのも、1週間だったものが2週間かかるようになる。体の反応や時間のかかり方が、20代の頃とは大きく変わりました。
あと、これまでは相手が年上でも年下でも、負けた時にはものすごく悔しい思いをしていました。反骨精神のようなものが強かったんですが、年齢とともに負けてもそれほど悔しくなくなっていったんです。テンションの上がり方が緩やかになっていって「これはもう退くべき時期が来たんだな」と。
今年で年齢的には36歳になりますが、社会人としてはピカピカの1年生です。これからは自分がやってきたことを言葉で伝えていくために、他の方の講演も積極的に聞いてみたり、ビジネスの勉強もしたいですし、充電期間・勉強期間だと思って、色々なことにチャレンジしたいと思っています。

プロフール

1974年、北海道生まれ。1998年9月NEC入社。CSR推進本部社会貢献室在籍。幼稚園からスケートを始める。91年浅間選抜500メートルで日本高校新記録を出し、全日本スプリントで総合4位に入り脚光を集める。以来長年に渡り、世界のスピードスケート短距離界の第一人者として活躍。
長野オリンピック500メートルでは金メダル、1000メートルで銅メダル、ソルトレークオリンピック・銀メダルを獲得。世界距離別選手権500mでは、 1998年~2001年4連覇。2001年大会で34秒32の世界新記録を樹立した。2010年3月5日に現役引退を表明。現在は喘息の啓蒙活動、講演会・イベントへの出演、執筆活動等、文化人として幅広く活躍中。