森ビル株式会社

東京の街で、ヒマラヤ散歩をするその理由(第3回)

2010年09月17日

今月のゲスト:プロスキーヤー 三浦雄一郎さん

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70歳でエベレストに登頂、当時の世界最高年齢登頂記録を樹立。75歳で二度目の登頂を果たした、プロスキーヤーの三浦雄一郎さん。現在も、次の目標に向けて日々トレーニングを続ける冒険家です。
足首に錘をつけ、背中にザックを背負い、高層ビルの階段を下って普段の散歩もトレーニングに。札幌と東京を行き来する生活のなかで、都会での生活を山を登るように楽しんでいるそう。三浦さんを冒険へと掻き立てるものは何なのでしょうか。挑戦し続けるその秘訣について話を聞きました。

第3回 みんなをびっくりさせたいという気持ちから
野次馬的な好奇心とサービス精神に支えられて

70歳でエベレストに登ってやろう、75歳で二度目に挑戦しよう、と他人には無謀とも言われることに挑戦していくのは、単純に言うと「これができたら面白いんじゃないか、みんながびっくりするんじゃないか」という野次馬的な好奇心と、サービス精神のようなものがあるからだと思います。
あとは、遺伝もあるのではないかと睨んでいたんですが、どうもそれは違うようなんです。

誰でも75%の可能性を持っている

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僕の父親は99歳でモンブランを滑るような人で、僕の息子はオリンピック選手。親子三代アスリートの三浦家には長寿や冒険の遺伝子があるのではないかと、順天堂大学で長寿遺伝の研究をしている白澤卓二先生が調べてくださったことがあったんです。でも、何もないということがわかった。
がっくりしている私を見た先生が、私に、「人生において遺伝子で差が出るのは25%。あとの75%は自助努力だ」と教えてくれました。素晴らしい遺伝子を持ち、100%の努力を発揮できる人は天才と呼んでいいと思いますが、普通の人でも、75%の可能性を持っているんです。
私たちは力いっぱいやっているつもりでも、いつもどこかに必ず力をリザーブしている。それまで発揮できたら、どんな人でももっと能力を発揮できる、ということです。

プロフール

1932年、青森県生まれ。プロスキーヤー、クラーク記念国際高等学校校長。1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1970年エベレスト・サウスコル 8,000m世界最高地点スキー滑降(ギネスブック掲載)を成し遂げ、その記録映画「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」はアカデミー賞を受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年エベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7ヶ月)樹立(ギネス掲載)。2008年、75歳にして2度目のエベレスト登頂を果たす。記録映画、写真集、著書多数。