森ビル株式会社

東京の街で、ヒマラヤ散歩をするその理由(第2回)

2010年09月10日

今月のゲスト:プロスキーヤー 三浦雄一郎さん

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70歳でエベレストに登頂、当時の世界最高年齢登頂記録を樹立。75歳で二度目の登頂を果たした、プロスキーヤーの三浦雄一郎さん。現在も、次の目標に向けて日々トレーニングを続ける冒険家です。
足首に錘をつけ、背中にザックを背負い、高層ビルの階段を下って普段の散歩もトレーニングに。札幌と東京を行き来する生活のなかで、都会での生活を山を登るように楽しんでいるそう。三浦さんを冒険へと掻き立てるものは何なのでしょうか。挑戦し続けるその秘訣について話を聞きました。

第2回 70歳でエベレスト初登頂、75歳で二度目の登頂に成功
どうせやるなら、死ぬ気でやれる目標を

世界のセブンサミット(※)を全て滑り終わったのが、50代の後半でした。それで「俺はもうやることはやった」と、定年退職の気分だったんです。20代のころから散々飲み放題・食べ放題の生活を送っていたのが祟ってか、高血圧や心筋、狭心症になってしまい、夜も眠れないくらい苦しいことがあって、そんな時に「このままでは死んでしまう。このまま死んだらみっともない」と思いました。そこで思い出したのが、「エベレストの頂上に登ってみよう」という20歳の頃見た夢だったんです。
「どうせなら、死ぬ気でやれるような目標を立てよう」と。「この状態からもう一度復活してエベレストの頂上に立てたらみんなびっくりするだろうな」と考えて、トレーニングをスタートしたのが65歳。そこから鍛え直して、エベレスト登頂に成功したのが、70歳でした。

※七大陸でそれぞれ最も高い山、エベレスト、アコンカグア、マッキンリー、キリマンジャロ、エリブルース、ジャヤ、ビンソンマッシフ。

75歳で二度目の挑戦を果たすまで

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70歳でエベレスト登頂に成功した後、次は75歳で2度目の登頂を成功させようと決心しました。しかし、不整脈がどんどんひどくなって、心房細動が起きるようになってしまったんです。そんな時に、世界で注目される心房細動の手術を行う家坂先生と鵜野先生という2人に土浦の協同病院で出会いました。
2度手術をして、やっとエベレストに出発。途中、その時付けていた通信機能のある心電計のデータを確認した鵜野先生から、「あなたの心臓は手術したときより、はるかに良くなっている。今使っている心電計は落としてもいいから、ロープは放すな」とドクターストップならぬ、ドクターゴーサインをいただいて、「よし、行けるんだ」と。
そうして、75歳で2度目のエベレスト頂上に立つことができました。

プロフール

1932年、青森県生まれ。プロスキーヤー、クラーク記念国際高等学校校長。1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1970年エベレスト・サウスコル 8,000m世界最高地点スキー滑降(ギネスブック掲載)を成し遂げ、その記録映画「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」はアカデミー賞を受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年エベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7ヶ月)樹立(ギネス掲載)。2008年、75歳にして2度目のエベレスト登頂を果たす。記録映画、写真集、著書多数。