森ビル株式会社

東京の街で、ヒマラヤ散歩をするその理由(第1回)

2010年09月03日

今月のゲスト:プロスキーヤー 三浦雄一郎さん

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70歳でエベレストに登頂、当時の世界最高年齢登頂記録を樹立。75歳で二度目の登頂を果たした、プロスキーヤーの三浦雄一郎さん。現在も、次の目標に向けて日々トレーニングを続ける冒険家です。
足首に錘をつけ、背中にザックを背負い、高層ビルの階段を下って普段の散歩もトレーニングに。札幌と東京を行き来する生活のなかで、都会での生活を山を登るように楽しんでいるそう。三浦さんを冒険へと掻き立てるものは何なのでしょうか。挑戦し続けるその秘訣について話を聞きました。

第1回 スキー少年がエベレスト登頂を夢見るまで
70歳で頂上に立つとは想像もしなかった学生時

僕が北海道大学の学生だった頃は、「俺の仕事は山登りだ」とか、「北極に行くんだ」「南極に行くんだ」と夢ばかり見て、学校をサボっては山登りやスキーばかりやっていました。ある時、このままスキーを滑っていたのでは、試験も滑り続けてしまうと思って、大雪山から学校のある札幌へ帰ったんです。
当時は、登山家のエドモンド・ヒラリーと、テンジン・ノルゲイが人類初のエベレスト登頂(※1)を果たして、世界中が大騒ぎでした。エリザベス女王の戴冠式を見て「俺もいつかエベレストに登ってみたい」と、そのころは月や火星に行くような気持ちで夢見ていました。それから50年後、まさか自分が70歳でエベレストの頂上に立つということは想像もしませんでしたね。

※1 エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイは、ともに1953年5月29日にエベレストの人類初登頂を達成した。

肝っ玉母さんから教わった「やるだけやってみよう精神」

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僕の母は、中学校を落第したことに落ち込んで引きこもっている僕を見て、「中学校1回、2回落ちたくらいで何さ」と言うような、肝っ玉母さんでした。スキー選手としても活動していた高校時代に1年留年してしまったのですが、そのときも母は、必死で机に向かっている僕に対して「大学なんて行かなくていいじゃない」と言うんです。「俳優だって、歌手だって、料理人だって何だってあるんだ。大学だけじゃ人生じゃない」と。
それで逆に、はっとしました。「でも、音痴で歌はだめだ。足が短いから俳優はだめだ。とりあえず勉強して大学に行くしか仕方がないな」と思ったんです。落第したり、留年したりすれば、普通の親は子供のお尻を叩くでしょう。それが、変な母親のおかげで逆に開き直った。「できるか、できないか。やるだけやってみよう」という精神が身に付いたんです。

プロフール

1932年、青森県生まれ。プロスキーヤー、クラーク記念国際高等学校校長。1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1970年エベレスト・サウスコル 8,000m世界最高地点スキー滑降(ギネスブック掲載)を成し遂げ、その記録映画「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」はアカデミー賞を受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年エベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7ヶ月)樹立(ギネス掲載)。2008年、75歳にして2度目のエベレスト登頂を果たす。記録映画、写真集、著書多数。