森ビル株式会社

二つの展覧会から発信する森村泰昌の世界(第3回)

2010年03月19日

今月のゲスト:美術家 森村泰昌さん

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ゴッホ、マリリン・モンロー、三島由紀夫まで、自ら歴史上の人物に扮装して撮影するセルフポートレイトという表現を追求し続ける、美術家の森村泰昌さん。『六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?』(森美術館にて3月20日から7月4日まで)での他のアーティストとの共演や、「20世紀の男たち」をテーマとする新作シリーズを紹介する展覧会『森村泰昌・なにものかへのレクイエム-戦場の頂上の芸術』(東京都写真美術館にて3月11日から5月9日まで)で、さらなる表現の広がりを見せる。自分と「その他の何か」、そして地元・大阪と東京を行き来する森村泰昌さんの視点は、何を捉えているのだろうか。

第3回 道が変われば街も変わる

今の日本に大事なものは路地ではないでしょうか。街が変わらない条件は、「道が変わらないこと」だと思うんですよ。道が変わってしまうと、街ってズバッと変わるんです。道路ひとつで、街が大きく変わってしまうことは確かなんです。道をしっかり計画することは、非常に大事。面白い道をつくれば、その道端には面白い街並みができてくる。
街は新陳代謝を繰り返しますから、私は「面白い道計画」をして、面白い道はしっかりと残しつつ、そこにいろいろな建物が新陳代謝を繰り返していくような、生き生きとした街になれば良いなと思っています。私は建築家でも何でもないんですけれど、そう思いますね。
必ずしも、見通しのいい道がすてきな道かというと、そんなことはないんじゃないかなと思うんですね。見通しが悪いことのドキドキ感というのもあるわけですよ。何かワクワクするなという道がいいと思います。
建物は目立つもので、「おっ、新しい建物ができたぞ」と注目しますけれど、道って基本的に歩いたり、車で走ったりするものですから、道自体がことはないんですね。
道は、体でいうと血管とか骨とか神経そというところです。表には見えないそういうところに、いろいろなものが肉づけされて人間というものができるわけだから、インディビジュアルなものというのが、とても大事だということです。それさえしっかりしていれば、街が、新しく変わっていっても大丈夫だと思います。

大きく広げた次には小さく縮める“表現”とは

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「なにものかへのレクイエム」
(宙の夢/アルベルト2) 2007

今回『森村泰昌・なにものかへのレクイエムー戦場の頂上の芸術ー』展、それから『六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?』への出品作、どちらでもかなり大きなテーマを扱っています。例えば「20世紀とは何か」とか「ファシズムとは何か」というテーマを扱っているのですけど、一度そういった大きなテーマに自分のものづくりの世界を広げてみたかったというのが、私にとっての2010年なんですよ。
そうして大きく広げたものを、今後はギュッと縮めてみてもいいのかなと。もっと小さなものや個人的なものに、もう一度立ち戻ってみてもいいのかなと思っています。
僕は「1枚の小さなキャンバスと絵の具で何かを描くという、超個人的な作業」がものをつくることの基本だと思うんです。この基本は忘れてはならないと思うのですが、表現の枠組みや、自分の可能性はどんどん広くしていった方が、絶対に豊かな実りの多い表現になる。
ですから、広く広くしていきたいんだけれど、どこまでも広くしていったら、『大きな仕事』といえるのかというと、必ずしもそうではない気がする。だから、ある種の大きさまで達すると、今度は急激にグッと絞り込んで、小さなものというと違うかもしれないけれど、ものすごく個人的なことに取り組めば、小さな中に大きな世界が見えてきたりすると思うんですよね。
そのためには、一度自分の世界や、枠組みを広げてやらなければならないと思ったので、私にとって2010年は、これまでになく世界を広くする試みの年になると思います。

プロフール

1951年大阪府生まれ。京都市立芸術大学美術学部卒業後、絵画、童話、版画、モノクロ写真などによる試行錯誤を経て、1985年、ゴッホの自画像に自らが扮して撮影するという、セルフポートレイトを発表。現在に至るまで、一貫してセルフポートレイト表現を追求してきた。1988年、ベネチアビエンナーレ/アペルト部門に選ばれ、一躍注目される。以降、海外での個展、国際展にも多数出品。また宝塚歌劇のポスターのディレクションやイッセイミヤケのプリーツプリーズ/アーティストシリーズの第一弾をてがけるなど、作品制作のノウハウを活かして、多方面に活躍中。作品集も含め著作多数。