森ビル株式会社

二つの展覧会から発信する森村泰昌の世界(第1回)

2010年03月05日

今月のゲスト:美術家 森村泰昌さん

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ゴッホ、マリリン・モンロー、三島由紀夫まで、自ら歴史上の人物に扮装して撮影するセルフポートレイトという表現を追求し続ける、美術家の森村泰昌さん。『六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?』(森美術館にて3月20日から7月4日まで)での他のアーティストとの共演や、「20世紀の男たち」をテーマとする新作シリーズを紹介する展覧会『森村泰昌・なにものかへのレクイエム-戦場の頂上の芸術』(東京都写真美術館にて3月11日から5月9日まで)で、さらなる表現の広がりを見せる。自分と「その他の何か」、そして地元・大阪と東京を行き来する森村泰昌さんの視点は、何を捉えているのだろうか。

第1回 森村泰昌のセルフポートレイト

3月11日から東京都写真美術館で開催する『森村泰昌・なにものかへのレクイエムー戦場の頂上の芸術ー』展は、4つの章に分かれた構成になっています。第一章、第二章は、2006年からスタートし、すでに国内外で展覧会として発表しているのですけど、あとの第三章と第四章では、この1、2年の間にせっせと作りためていた作品を初めて発表して、『なにものかへのレクイエム』シリーズの全貌をお見せしたいと思っています。
よくセルフポートレイトというと、「自分とは何か」という問いを深めていって、「自分というのはこういうものだったんだ」という「自分の核」を見つけ出す作業のように思われているけれど、どうもそうじゃないんじゃないかなと。自分1人では世の中は存在しない、“自分”というのは、他人なしにはあり得ないんです。他人や、他の何かがあって、自分が存在する。その何かとの対話の中で、「ああ、自分って、こういう人間なのかな」という、自分であることのリアリティを、つかみとることができる。セルフポートレイトとはそういう手法かなと、私は思っています。
私のセルフポートレイト作品は、「自分の日常生活を写真に撮ってみました」というタイプのものではありません。自分以外の「何かになる」という形のセルフポートレイトで、やはり好きなものじゃないと「なる」気にならない。好きであったり、とても気になったり、「えっ?」って思うけれど頭から離れないものだったり、そういうものにグッと近づきたいという気持ちがセルフポートレイトの作品になっているようです。

20世紀に、じかに触れてみる

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「なにものかへのレクイエム」
(創造の劇場/パブロ・ピカソとしての私) 2010

東京都写真美術館での展覧会では、「20世紀とは何か」「20世紀に活躍した男たちはどんな者だったのか」という非常に大きいテーマに挑戦しています。このテーマに沿って、自分自身がいろいろな登場人物になりセルフポートレイトという手法で作品化するのです。
21世紀、人間はずっと突き進んできたような気がしますが、ちょっと立ち止まってみたいなと。もうすでに終わってしまった20世紀という時代を振り返ってみるのも、意味がないことはないだろうなと思い、20世紀の様々な歴史的事件や人物をテーマにしています。20世紀にはいろいろな事件がありました。日本では1970年に、三島由紀夫がクーデター未遂を起こして、挙句の果てに割腹自殺をしたなどという、非常にショッキングな事件がありましたし、世界ではベトナム戦争や、第二次大戦もありました。遡れば20世紀初頭にはロシア革命があり、そしてレーニンが出てきたし、ヒットラーも出てきましたね。こういう事件をテーマにしながら、「20世紀って何なんだろう」ということをもう一度振り返ってみたいなと思いました。
単に歴史的に勉強するのではなくて、20世紀という歴史に自分の手でじかに触れてみる感覚を味わいたいという欲望、それがどうも自分にはあるようです。この、自分の手で歴史に触れてみるという感覚が、セルフポートレイトという表現につながっているということなんでしょうね。

プロフール

1951年大阪府生まれ。京都市立芸術大学美術学部卒業後、絵画、童話、版画、モノクロ写真などによる試行錯誤を経て、1985年、ゴッホの自画像に自らが扮して撮影するという、セルフポートレイトを発表。現在に至るまで、一貫してセルフポートレイト表現を追求してきた。1988年、ベネチアビエンナーレ/アペルト部門に選ばれ、一躍注目される。以降、海外での個展、国際展にも多数出品。また宝塚歌劇のポスターのディレクションやイッセイミヤケのプリーツプリーズ/アーティストシリーズの第一弾をてがけるなど、作品制作のノウハウを活かして、多方面に活躍中。作品集も含め著作多数。