森ビル株式会社

スクリーンと向き合うなかで、見つめた都市の姿(第3回)

2009年11月13日

今月のゲスト:写真家・映画監督 若木信吾さん

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写真家として雑誌や広告などで活躍しながら、自身で出版社を興しジャーナル誌を発行するなど創作の場をますます広げている若木信吾さん。その若木さんが監 督した映画『トーテム Song for home』が公開された。台湾の原住民が住む台東という地域の青年が、台北でロックバンドとして活躍する姿を捉えたドキュメンタリー作品。自身の祖父を撮 り続けた写真作品シリーズの映画化として発表した『星影のワルツ』に続く監督作品第二作目となる。都市と故郷の間で揺れる青年の心を追いかけた若木さん は、東京で暮らしながら今何を思っているのだろうか。

第3回 写真家として映画監督として東京で暮らして

自分にとってですが、東京は今すごく住みやすくなりましたね。単純な話、情報の量は多いですし、買い物するにも本を読むにも、文化のことも、あっという間に手に入るような状況。
あと仕事をする環境ということで言えば、僕はたまたまそうなのかもしれないですけれど、プロフェッショナルであるということプラス、別の方向も探らせてくれる可能性を残しておいてくれるみたいなところがありますよね。それは、少し小さい都市での「それを他にやる人がいないから、自分はこれもできますよ、あれもできますよ」ということではなくて、もっと自由な選択肢を残しておいてくれるという感じが、すごくいいなと思っています。それって技術の進歩もあるんだけれど、やっぱり受け取る側の、「写真家なのに映画を撮って、何か変じゃないの?」ということを、あまり言われないというのが東京にはある気がします。いろいろなことがやりやすいですよね。

視点や目線は写真家のままでいたい

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監督作品第一作目『星影のワルツ』

映画のスチール撮影という、映画の撮影現場に入って写真を撮影する仕事を何度かやらせてもらって、何かちょっとこっちも面白そうだなというか、可能性がなくもないかなと思ったのが映画を撮るきっかけかもしれません。最近は機材も、小規模で安くできるようになっているので「これだったら、何かやってみたいな」とずっと思っていました。
前の映画(監督作品第一作目『星影のワルツ』)も、ずっと写真に撮っていたうちのじいさんが亡くなって、「やってしまおう」みたいな感じで映画化を考えて撮ることが出来た。「できるんだったら、やってみたい」というのが一番かな。
あと写真家は一人の作業が多いので、協調性がないようなところがあるんですけれど、それも克服できるかな、と。映画はもともと見るのはすごく好きだったんですけれど、若いころは「こんなにたくさんの人数の人が関わっていて、それを1人でまとめながら、大きなものを作っていくみたいなことは、多分無理だな」と思っていたんですよ。ただこれからも映画を撮っていくにしても、視点や目線は、ずっと写真家のままでいたいと思っています。

プロフール

1971年静岡県浜松市生まれ。ニューヨーク州ロチェスター工科大学写真科卒業後、「The New York Times Magazine」「Newsweek」「Switch」「Elle Japon」「HF」「relax」など雑誌・広告・音楽媒体をはじめ、ライフワークとして自身の家族や友人を撮影した作品を発表している。中でも自身の祖父を被写体としたシリーズは『星影のワルツ』として映画化し、初めて映画監督を務めるなど、幅広い分野で活躍し注目される。また自身の出版社ヤングトゥリー・プレスを興し、個人的体験を一般公募で集めたジャーナル誌「youngtreepress」を発行し、個人的視点の集まりをドキュメンタリー・スタイルで表現することを追求している。