森ビル株式会社

無心で頑張ることが夢を叶える(第2回)

2009年09月11日

今月のゲスト:歌手 堀内孝雄さん

0909a_img.jpg

28年ぶりに全国規模のツアーをスタートし、再始動した「アリス」。堀内孝雄さんは再始動について、60代になるということがメンバーの背中を押したと 語った。若いころの苦労があったからこそ、歌手になるという夢を叶えられたという堀内さん。「アリス」としてデビューしてから40年近くたった今、熱く語 る若い世代への厳しい言葉のなかには、堀内さんの優しさが溢れていた。

第2回 東京からいろいろなことを教わる

最初東京に出てきたときって、みんな一辺倒に「冷たい街だな」って思うんですよね。でも出てきてしばらくすると、「東京はみんな地方から集まってきているんだ。正月、人がいなくなるのはそのせいだ」ということに気付いて、「冷たいというのは、寂しいの裏返しだったんだ」と思う。
本当に、東京って面白い街ですよね。一方にはすごい高層ビルがあるのに、ちょっと走ったら、街並みが揃った高さのところもあったりして。すごくいろいろな人が入り混じっているし。僕が40年近く前に地方から東京に出てきたときにも「ここは外国のようだ」なんて思いましたけれど、今もっとすごいんですよね。
東京は、情報も早いし、勉強になることがいっぱいあります。でも、仕事がうまくいかなくて地元に帰る人もたくさんいますよね。それは東京に来たからじゃないでしょうか。東京が、改めて地元の良さを教えてくれたんですよ。この高層ビルが立ち並ぶ東京からは、いろいろなものを教えられます。

関西弁を大阪でしか使わないその理由

0909a_2_2.jpg
HILLS CAST収録風景

別に隠しているわけじゃないですけれど、僕は関西弁でしゃべっていないじゃないですか。これは昔、新幹線に乗ったとき近くにサラリーマンの方が2人乗っていて、そばを通りかかったときに「あの関西弁というのさ、いやだよな。俺あれ聞いただけで、もうだめなんだ」と話していたのが聞こえたんです。僕は、ド関西の出身なんですよ。「関西の人でしょう、この人?」ってそれだけでペケつけられるっていうのが、歌手としてその人物なりを通じて、歌も嫌いになられちゃうというのが、すごい嫌だったんです。だからそのとき思ったのが、関西弁は東京では使わない、北海道でも、東北でも使わない。関西圏に帰ったときだけ「どうも、すんまへん、帰ってきましたで」って、本当に素に戻れる自分もつくっておこうと思って。その切り替えができるようになったのも、逆にまた東京が教えてくれたということなんですよね(笑)。

プロフール

歌手/1949年、大阪生まれ。1971年に谷村新司、矢沢透と「アリス」を結成。デビュー曲「走っておいで恋人よ」を発表。10年間に渡る活動の中で谷村新司とのツインヴォーカルを聞かせ、作曲家としても活躍した。1975年には平行してソロ活動を開始し、1978年「君のひとみは10000ボルト」、 1980年「南回帰線」とそれぞれ大ヒット。1981年に活動を休止していた「アリス」だが、2009年7月のツアーを皮切りに再始動した。