森ビル株式会社

東京から離れられないその理由(第5回)

2009年03月27日

今月のゲスト:作家 阿川佐和子さん

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「文句があっても、魅力もあるからつい住んじゃう」
自身が生まれ育った東京についてそう話すのは、作家の阿川佐和子さん。小説やエッセイなど著作は数多く、テレビでも活躍している。広島や横浜、ワシントンDCでの生活の経験もある彼女が、一番長く住み続ける東京の魅力とは一体どこにあるのだろうか。東京の良いところ、そして悪いところまで、独自の視点で明るく語った。阿川さんが考える、理想の東京とは。

第5回 東京は川をないがしろにしている

東京は発展する過程において、川をないがしろにしたなと思います。古代4大文明から始まって、川の近くに大きな街ができてくるから、やはり大きな都市には必ず川があるでしょう。ニューヨークだって、ロンドンだって、パリもドイツの街々も。どこの街でも大きな川があって、その川を大事にした上での街づくりというのをしてきた。水辺というものを大事にしたと思うのです。そんなに歴史に詳しいわけじゃないけれども、東京は江戸の時代に、大きな川や海から物販のために小さな水路をたくさん作って、それから街道と、さらに富士山信仰みたいなものもあったから富士山の見える街づくりというのを大事にした。大いなる街づくりの哲学があったと思うのです。
けれども東京になってから、それをことごとく壊していって、全部がゴチャ混ぜになっているところ。それがまた面白いところではあるけれども、やっぱり小さな水路を全部埋め立てたというのは、寂しかったなと思いますね。
今かすかに残る水路も、危ないからという理由で、両側を緑色のフェンスでやたらに高く、ズーッと囲っている。私はあの緑色のフェンスは「危ないから入るな」というよりも、「この中にゴミを捨てていい」というフェンスにしか見えない。ゴミ箱にしか見えないと思うのですよ。だから自転車でもテレビでも捨てるでしょう。あのフェンスがなかったら、もちろん落ちたら怪我するということもあるけれど・・・それでは自己防衛能力も劣るしね。景観もやっぱり鮮度が落ちる。でも、今はだんだんきれいになっていると思いますよ。一時期、多摩川って「本当に汚いな」と思ったりしたけれども。水質がよくなって魚も戻ってきているという意味では、少し反省したとは思いますけれど、やっぱりもうちょっと・・・。

自然を封鎖して便利だけを求める時代はもう終わり

自然を全部封鎖して、人間の便利だけを求める時代はもう終わりで、自然の驚異もいろいろ調整しつつ、人間と共生するような街づくりをしてほしいと思いますね。だって自然って「きれいだ」と思うことと「危険だ」というものと、両方はらんでいるんですもの。危険に全部蓋をして、きれいだけ残そうとしても、やっぱり無理があるでしょうね。
以前にワシントンDCに住んでいたのですが、やっぱりポトマック川というものは大いなる存在でした。日が長いのもあるけれど、オフィス時間が終わってから日が落ちるまで、まあとにかくポトマックの周りにグダグダと人がいますよ。何だかのんびりと。川を見ているときれいだし、そこにカヤックなんかを練習している学生がいたり、ピクニックしている家族連れがいたり、ボール遊びしていたりというのが、うちから10分みたいなところでできるという魅力がある。わざわざ観光地まで行かなくても、十分にそこで紅葉も楽しめ、川に落ちる桜の花びらも見ることができて、振り返ってみると「ああいう時間と空間は大事だな」と思いますね。

プロフール

作家・タレント/1981年「朝のホットライン」でリポーターを務め、1983年より報道番組「情報デスクToday」のアシスタント。1989年から「筑紫哲也NEWS23」のキャスターを務めた。1992年に渡米し、帰国後「報道特集」のキャスターとなる。著作は数多く、エッセイ「ああ言えばこう食う」で1999年講談社エッセイ賞を受賞。小説「ウメ子」では坪田譲治文学賞を受賞。現在週刊文春にて対談「阿川佐和子のこの人に会いたい」を連載中。