森ビル株式会社

東京から離れられないその理由(第4回)

2009年03月19日

今月のゲスト:作家 阿川佐和子さん

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「文句があっても、魅力もあるからつい住んじゃう」
自身が生まれ育った東京についてそう話すのは、作家の阿川佐和子さん。小説やエッセイなど著作は数多く、テレビでも活躍している。広島や横浜、ワシントンDCでの生活の経験もある彼女が、一番長く住み続ける東京の魅力とは一体どこにあるのだろうか。東京の良いところ、そして悪いところまで、独自の視点で明るく語った。阿川さんが考える、理想の東京とは。

第4回 対談で毎週ゲストと話をして

最初に「『週刊文春』のインタビューのページでというか、対談のページでホステスというものになれ」と言われたときに、私それ以前に10年近くテレビとか雑誌の仕事をしていまして、もちろんインタビューの仕事も何回かやっていて、褒められた試しがなかったんです。「お前はインタビューが下手だ」と言われ続けて10年、という状況だったときに、『週刊文春』の編集長がそうおっしゃって、「何を間違えておるのか、この人は」と思ったんです。でも当時、『週刊文春』って雑誌の中で一番売れていたから、「ここで私を編集長が指名して連載が始まって、不具合が出たときには、何とかしようと編集部が必死になって私を教育するであろう。これは3カ月で首になったとしても損はないだろう」と思って、ビクビクもので引き受けたのですけれど。でも、やっぱり最初は怖かったです。今だって怖いですけれどね。会うたびに、失敗したらどうしようとか、相手が怒って帰っちゃったらどうしようとか、こっちの準備が悪いことがバレたらどうしようとか、いろいろなことを思って。気が合わなかったらどうしようとかね、黙り続けてしまったらどうしようと思うけれど。
必死になるから、なんだろうな、まあ、必死に聞くしかないので。で、必死に聞けば「ああ、こいつは聞いているな」とゲストが思ってくださり、「これだけ聞いているんだったら、もうちょっと話してみようかな」と思ってくださる、という展開になればありがたいことですけれどね。別に才能ってないですよ、そんなもの、あります?

だめなやつの前で、ついポロッと言っちゃうことがあるんだろうな

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HILLS CAST収録風景

当時まだ横綱だった・・・横綱になる前かな、大関だったかな、貴乃花関に初めてインタビューに出ていただいたことがあったのです。実はその前に若乃花関にインタビューをしたことがあって、そのとき本当にいいお話を聞いたの。貴乃花関の方が慎重派だったけれど、お兄ちゃんから「こいつはどうも悪者じゃなさそうだぞ」という情報を得た上だったのか、「じゃあ、阿川のインタビューを受けてもいいか」ということで、OKしてくださったらしくて。そして貴乃花関がいらした。
私そんなに相撲知らないのだけれど、そのときはもう必死になって勉強して。インタビューの途中で、「では、来場所に向けて貴乃花関は、どのような相撲をとろうと思っていらっしゃいますか?」みたいな真面目な質問をポコッと言ったら、プッってね、貴乃花関が吹き出したの。それで私が「何で笑うんですか?」と伺ったら、「だって阿川さんが真面目に相撲の質問するから」っておっしゃって。で、私「ずっと相撲の質問していますよ」と言ったんですけど。阿川から相撲の質問は期待していなかったみたいね。
それも、つまりね、だめなインタビュアーの前だと、ついポロッと話しちゃうということがゲストの心理にはあるんだろうなと思いました。都合のいい解釈してますけど、私。

プロフール

作家・タレント/1981年「朝のホットライン」でリポーターを務め、1983年より報道番組「情報デスクToday」のアシスタント。1989年から「筑紫哲也NEWS23」のキャスターを務めた。1992年に渡米し、帰国後「報道特集」のキャスターとなる。著作は数多く、エッセイ「ああ言えばこう食う」で1999年講談社エッセイ賞を受賞。小説「ウメ子」では坪田譲治文学賞を受賞。現在週刊文春にて対談「阿川佐和子のこの人に会いたい」を連載中。