HILLS CAST
“東京をおもしろくするアイデア”を持ったゲストをお迎えしてお届けする「HILLS CAST」は、J-WAVEのラジオ番組「森ビル presents 東京コンシェルジュ」内で放送していた森ビルのラジオCMです。
※掲載内容は、取材・放送時点のものです。
「島耕作」と、都市を見つめる(第3回)
2008年11月14日
今月のゲスト:漫画家 弘兼憲史さん

会社員から漫画化への転身。代表作「島耕作」シリーズには、自身のサラリーマン生活をもとに、主人公がキャリアアップしていく様子がリアルに描かれている。島耕作は、サラリーマンたちが憧れる有望なビジネスマンであることは言うまでもない。
これまで作品の中で多くの都市を描き続けてきた弘兼憲史さんが、東京を見つめ、感じることを語りだす。
第3回 日本の国際化―出遅れた日本―

中国やアジアを廻ってから東京という都市を見てみると、変化を感じます。以前は「東京は美しくて治安がいい街」というイメージがあったのですが、それが少しずつ崩れている。
そして日本は今、国際化に関しては韓国や中国に比べて、大きく遅れをとっていると思います。アジア諸国の中で最初に国際化したのは日本なのに、なぜ国際化に遅れをとってしまったかというと、日本が不況になったときに国内ばかりに目を向けて、多くの業種が海外進出をやらなかったからだと思います。日本の市場というのは、豊かな「お金持ちの1億3,000万人」がいるという国際的に見ても特殊なマーケットです。景気のいいときは無理して海外で価格ギリギリのところでしのぎを削る価格競争に参加しなくても、そのなかでだけやっていけたわけです。
日本が不況になった時も、「国内だけに目を向けて、国内でリストラをやり、生産調整をやって、少しずつ規模を縮小して…」としている間に、その隙をついて韓国などは、例えばインドや中国あたりに、碁でいう“布石”というか、石を置いていったわけですね。
日本が少子化になり、日本の市場がどんどん縮小していくことがわかり、「これはいかん!さて海外に進出しようかな」と思った時には、すでに韓国が全部“石”を置いているわけですから、もう韓国に完全に遅れをとっている。ここに追いつくのは大変な感じがします。
トップに立ったときの慢心
島耕作のいる電機業界の視点からみても、韓国のサムソンLGは日本のソニー、パナソニックよりも巨大な企業です。そこに今度日本が追いつかなければいけないという時代になりました。
日本は技術至上主義で、「良い品質の物をつくっていたら絶対売れる」というような神話を持っていました。ところが、現在は新しい国が増えていますから、日本が作るような高品質・高価格のプレミアム製品というのは、あまり売れない。品質優先というよりも価格の安い方に飛びついてしまうという状況があります。韓国はウォン安のときに、かなり低価格で市場を開発して、かつブランド力を高めていましたから、海外では断然韓国のサムソンの機種が売れているのですね。
ところが日本人は、これに気がついていない。例えば秋葉原とか電機専門店に行っても、韓国製品がズラッと並んでいるという事も、街にヒュンダイの車がズラッと並んでいる事はないですね。しかしこれは日本だけの現象で、一方アメリカや中国に行くと、韓国製品がズラッと並んでいます。その違いに気づいていないということは、日本は“トップに立ったときの慢心”が、ずっと続いているような気がします。
漫画を読んでいただくと、まさに今の韓国の脅威にさらされている状況が見ていただけると思うのですが、読者の方にも、「あっ、韓国ってそんなに強くなっているんだ」「サムソンというのは、パナソニックとソニーを合わせたぐらいの時価総額を持っている巨大な企業なんだ」というのをご存じない方も多いので、それを書く心境としては、完全に警告・警鐘をならしているつもりです。最近のニュースでは、「パナソニック(旧松下電器産業)による三洋電機買収を漫画『島耕作』が「予言」した」といって話題になっているようです。漫画を読んでいただく方に、「もっと日本を知ってもらいたい」という気持ちで日々、漫画を書いています。
プロフール
1947年9月9日生まれ。山口県出身。早稲田大学法学部卒業。松下電器産業販売助成部に勤務。同社を退職後、1974年に漫画家としてデビュー。 1985年に『人間交差点』で第30回小学館漫画賞一般向け部門、1991年には『課長島耕作』で第15回講談社漫画賞一般部門を受賞。2000年には『黄昏流星群』で第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を、同作では2003年に第32回日本漫画協会賞大賞など数々の賞を受賞した。2007年にはその功績が認められ、紫綬褒章を受章する。その他の代表作に『加治隆介の議』『ハロー張りネズミ』など。1983年から始まった代表作「島耕作」シリーズは、2008年に社長就任を迎え、さらなる飛躍のときを迎えている。