森ビル株式会社

今年で結成20周年を迎えたシャ乱Q(第3回)

2008年10月17日

今月のゲスト:音楽家、総合エンターテイメントプロデューサー つんく♂さん

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シャ乱Qのボーカルであるつんく♂さんは、今や日本を動かすエンタテイメントの仕掛け人だ。
音楽プロデューサーにとどまらず、お好み焼き屋、ゲーム、ジュエリーブランドのプロデュースまでも手がける。
つんく♂さんが考える東京、書籍「一番になる人」に込めた想いを語る。

第3回 日本人の「元気」が地方にはある

僕のじいちゃんの里は高知県なんです。高知は失業率が上がったり、子どもの数がどんどん減っていて本当に寂しいんですよね。県の人たちは大変やと思うのですけれど、皆すこぶる明るい。すごく日々楽しそうで、「旬の海老がとれたで」って、伊勢海老をザリガニをとってきたかのように持って帰ってくるわけですよ。東京で食ったら、「それ何万円もするのに!」と思うのを、「食べ、食べ」と言って、もったいないくらい豪快に味噌汁にガサッと入れて、「食べ、食べ、食べ、食べ」とやるんです。
 お給料や、失業率云々の前に、日本人として持っている元気さのようなものが地方にはあって、都会にはない。都会はやっぱり働いていないと、食っていけないという、切実な問題があるから、どうしても地方と比べると元気がないですね。でもやっぱり、まず東京が元気でないといけないんじゃないかな。

日本の食べ物は世界一うまい

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『お木曳き』に参加しました

今は海外にずっと住むという事は、考えていません。まあ、「それもいいかな」と頭の片隅にはあるかもしれないのですけれど。海外に行って日本に帰ってくると、水ひとつをとっても、すごく美味しい。特に東京は、世界中の美味しいものが揃っているんですよね。フランス、イタリア、中華。食い物に関しては、本当に世界一うまいんじゃないですか。その中でもやっぱりずば抜けてうまいのが日本の米や、味噌とか醤油、アジの干物などといった『日本の粗食』ですね。日常にステーキがなくたって、鶏がなくったって、なんとかなるのが日本人。日本にはそういう素朴な美味しいものが本当に沢山あって、東京にはそれがいちばん揃っている。それはやっぱり自慢すべきというか、すばらしいと思いますね。
日本って世界の中でもすばらしく美しくて、いい国です。それがこれからどんどん世界にアピールしていかなければいかんポイントだと思います。
今後政局が安定して、日本が元気になって、僕らにもたくさん仕事が来て、そういう新しい日本になっていけばいいなと、本当に思います。

みんなが僕を育ててくれた―あの頃に戻ってお木曳きを楽しむ

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六本木ヒルズで行われた『お木曳き』

2007年2月に六本木ヒルズで行われた『お木曳き』が非常に良かったです。本当はお伊勢さんに行かなければ体験できない『お木曳き』を、六本木で体験できるというのも東京のすごさですかね。また森ビルの皆さんのパワーや、ユーモア、伝統行事を受け入れる姿勢、何かすごいなと思います。
 僕は関西に住んでいてお伊勢さんは近いんですが、何度か行っているのにそんなに伊勢を楽しもうとして行ったことは実際なかったんです。天気もよかったし、参加させてもらえてすごく楽しかった。あの日は六本木ヒルズが、色々な売店も含めて『一日お伊勢さん』のようになっていて、非常に楽しかったし、参加したことによって、本当に心洗われる気持ちになりました。しかも老いも若きも、三重からもたくさんの人が来ていて、「つんく♂さん」「つんく♂さん」と声をかけてもらえて、非常に楽しかったですね。
僕は、大阪のこっちでいうと武蔵小山の商店街のようなところで育ってきました。小さいころから、家族ぐるみで商売をしていたので、学校が終わった後は、大抵商店街をウロウロしていました。近所のおっちゃん、おばちゃん、じいちゃん、ばあちゃんまで、みんなが僕を育ててくれました。おつかい行ったら「これ持って帰り」「お駄賃あげよう」、悪いことしたら、「コラー」って全然知らんおっさんにも怒られたりとか。そんな街で育ってきたので、あの『お木曳き』の雰囲気は、色々な商店街の人、色々な県の人、お偉いさんや役場の人、いっぱい紹介されたけれど、どれがどの人かみんな同じ服着てわからへん、それでも皆でワーワー言っていて、小学生に戻ったような気分で、年配の人に普通に「おっちゃん、おっちゃん」という感じで親しんだり、とても楽しめました。森社長も手を振ってくれていましたね。

プロフール

少年時代から水泳・陸上などスポーツを得意とすると同時に音楽にも興味を持ち、中二の時に初めてギターと出会う。中三の学園祭の時に友人と計3人でアコースティックギターでの初ステージを経験。高一で初めてバンドを結成するがグループ名も付く前に自然消滅。高二で二つ目のバンド【Fire】を結成し学園祭で披露(いずれのバンドでもボーカルを担当)。幾つかのバンドを経て、大学生時代に結成したバンド【乱(RAM)】が、1988年12月つんく♂ (Vo)・はたけ(G)・まこと(Dr)・たいせー(Key)・しゅう(Ba)の5人によるバンド【シャ乱Q】となり、1989年1月15日大阪バナナホールにて初LIVEを行う。その後、シャ乱Qが中心となって関西バンド集団【すっぽんファミリー】を発足させ、毎週日曜日には大阪城ストリートLIVE (城天)を賑わせる。シャ乱Q単独としても関西のライブハウスの動員記録を次々と塗り替え、1991年NHK BSヤングバトルにて応募総数全国3404組の中からグランプリを獲得。翌1992年7月22日、シングル【18ヶ月】でBMGビクターよりメジャーデビュー。
以後の主な活動はこちら