森ビル株式会社

今年で結成20周年を迎えたシャ乱Q(第2回)

2008年10月10日

今月のゲスト: 
音楽家、総合エンターテイメントプロデューサー つんく♂さん

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シャ乱Qのボーカルであるつんく♂さんは、今や日本を動かすエンタテイメントの仕掛け人だ。
音楽プロデューサーにとどまらず、お好み焼き屋、ゲーム、ジュエリーブランドのプロデュースまでも手がける。
つんく♂さんが考える東京、書籍「一番になる人」に込めた想いを語る。

第2回 日本と海外では違うヒットの方程式

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結成20周年を迎えたシャ乱Q

海外に行くとやっぱり目線が変わりますね。小さい頃からの体験で、日本で何かがヒットして大衆が群がる様子は、頭の中のメモリーに入れてあって「何かモノをヒットさせる時というのは、きっとこうだろう」という、僕の中の方程式があるんです。でも、海外に行けば、その方程式が若干違ってくると思うのです。だから、海外に行った時には、『海外の目線』で日本を見たり、海外の大衆は一体どういうことに興味を持っているのだろうかと、完全に違うアンテナを立てないと、日本人の感覚ではきっとイコールにならない。そんな気がします。

「優しく、情にもろい」それが日本人のええとこや

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HILLS CAST収録風景

日本人というのは、世界の中でとにかく丁寧な人種だと思うのです。何事においてもすごく丁寧。一歩間違うと、すごく慎重なんです。でも慎重といいながら、日本であれだけオレオレ詐欺に引っかかる人ががいるわけですから、どこか優しすぎるというか、情にもろいというか。だから世界に商売をしに行って、日本人がやっつけられる1つの敗因は、その甘さ、優しさ、詰めの甘さ、そういうところにあるなと思うのです。でも「そこが日本人のええとこやないんけ」と、つい判子をついてしまうあの感じ。それはそれでいいかなと思う一方、ここまで世界がグローバル化してきて、中国などのマーケットがどんどん大きくなっていって、財力も、日本を丸呑みしそうな勢いになって、やはり今までの優しさではちょっといかんだろうなという気はするんですけどね。

日本からアジアへ:今までと違う新しいスター

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つんく♂さんがプロデュースする
「THE ポッシボー」

僕らは音楽をずっとやってきて、アジアの中で日本のポップス、Jポップというものがとても信頼されてきています。その中で一時代をつくったといわれる「モーニング娘。」を含めた、女の子たちのプロデュースをしてきました。
流行はだいたいオンタイムで起こるのですが、伝説というものは、意外とタイムラグがあって、4、5年の後に、ようやく今になって浸透するということもあります。
安室奈美恵ちゃんなども、今年10年ぶりにして、またミリオンセラーです。日本でで旋風を巻き起こした後に、その余力でアジアに浸透していっていたのですが、もう1回、ここで日本でブレークすることによって、アジアで本当に根強い人気を勝ち取るんだろうなと思います。今までの日本にはあまりなかったパターンですよね。今までと違う、新しいスターがまたできていくのではないかなという。
今までは日本のスターが中国や他の国に行くと、人は集まるのですが、それをビジネスすることがなかなかできなかったんですね。お金の価値も違いますし。だからほとんどボランティアに近い感じでライブをやって帰ってくることが多かったのです。でもこれからは、中国の通貨の価値も上がってきているし、十分ビジネスチャンスがあるんじゃないかなという気がします。

プロフール

少年時代から水泳・陸上などスポーツを得意とすると同時に音楽にも興味を持ち、中二の時に初めてギターと出会う。中三の学園祭の時に友人と計3人でアコースティックギターでの初ステージを経験。高一で初めてバンドを結成するがグループ名も付く前に自然消滅。高二で二つ目のバンド【Fire】を結成し学園祭で披露(いずれのバンドでもボーカルを担当)。幾つかのバンドを経て、大学生時代に結成したバンド【乱(RAM)】が、1988年12月つんく♂(Vo)・はたけ(G)・まこと(Dr)・たいせー(Key)・しゅう(Ba)の5人によるバンド【シャ乱Q】となり、1989年1月15日大阪バナナホールにて初LIVEを行う。その後、シャ乱Qが中心となって関西バンド集団【すっぽんファミリー】を発足させ、毎週日曜日には大阪城ストリートLIVE(城天)を賑わせる。シャ乱Q単独としても関西のライブハウスの動員記録を次々と塗り替え、1991年NHK BSヤングバトルにて応募総数全国3404組の中からグランプリを獲得。翌1992年7月22日、シングル【18ヶ月】でBMGビクターよりメジャーデビュー。
以後の主な活動はこちら