森ビル株式会社

今年で結成20周年を迎えたシャ乱Q(第1回)

2008年10月03日

今月のゲスト: 
音楽家、総合エンターテイメントプロデューサー つんく♂さん

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シャ乱Qのボーカルであるつんく♂さんは、今や日本を動かすエンタテイメントの仕掛け人だ。
音楽プロデューサーにとどまらず、お好み焼き屋、ゲーム、ジュエリーブランドのプロデュースまでも手がける。
つんく♂さんが考える東京、書籍「一番になる人」に込めた想いを語る。

第1回 ゲーム開発、シャ乱Q20周年、そしてお好み焼き

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『リズム天国ゴールド』
© 2008 Nintendo © 2008 つんく♂
Co - developed by TNX

どうも、つんく♂です。今年の活動はというと、僕がプロデュースをした『リズム天国ゴールド』というゲームソフトの開発をしていて、それが夏に発売されました。それから去年の暮れからずっと書いていた『一番になる人』という本がようやく形になり、これも夏に発売になりました。
その他には、今年で20周年を迎えるシャ乱Qのディナーショーをやったり、年末には武道館でコンサートもやります。その他にはプライベートでは子どもが生まれたりとか(笑)。あとお好み焼き屋さんを2軒ほどオープンさせたので、その立ち上げで、ちょっとバタバタとしたりしましたね。

CDからダウンロードへ:商品が形にならない時代

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HILLS CAST収録風景

僕はエンターテイメントに関わることであったら、どんなことでも貪欲に興味を持っていこうという意識がとても強いんです。今の音楽業界というのは、音楽番組はどんどん減っていて、変換期、入れ替わりの時にあります。
レコードからCDに入れ替わった時代と同じように、今はCDからダウンロードの時代になっている。今までは、商品が全て形になっていたのですが、これからはもう形にならない時代です。音だけが送られてきたりする、ノーパッケージの時代、そんな中で、我々音楽家やエンターテイメントに携わる人間が、そこだけに固執していたらどんどん小さくなっていきます。
新しい分野や、面白いと思うもの、幸せと感じるもの、それは食べ物であったり、着る物であったり、遊ぶスペースであったします。また、1日のうちに何をしているか、携帯を触っている時間やパソコンを見ている時間などを含めて、僕らプロデューサーと言われている人間が何を生み出すべきなのかという意味で、この2、3年、いろいろ暖めてきました。
今年がちょうどその1つ目の芽が芽吹いた年かなと、そんなふうに思っていますね。

『一番になる人』:何でもいいから一番を目指そう

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著書『一番になる人』(サンマーク出版)

夏に発売になった『一番になる人』は、僕の知っている人のことや、先輩から学んだこと、僕が経験したこと、おじいちゃんやおばあちゃんに教わったことなどを書いた本です。ほとんどが僕が実体験したことなんですよ。何かで読んだ話や、誰かに聞いた話ではなくて、僕が経験した話を基本的に書いています。
『一番になる人』というのは、僕らが1番になってきましたということだけの意味ではありません。僕がなぜ音楽家になったかということ。それを誰かが評価するかもしれないけれども、それは誰かの価値観であって、本当に1番かどうかというのは、実は分からないわけじゃないですか。料理でもそうですが、何かのグランプリを取った料理人というのも、それは誰か偏った人が決めたグランプリかもしれないわけですよね。だから、意外と僕らの世界というのは、1番2番というのは本当はあってないような気がするんです。
ただ、人の気が集まると、人気が集まるというのは確かにあるかもしれないので、大衆が支持するもの、大衆が支持した人気の1番ということは、確かに出てきます。でも、芸術力の1番か2番かというのは、本当は誰にも決められないことなんですよね。だから『一番になる人』というものでいうと、その1番というものは、誰かの基準でいいから1番になればいいんじゃないかと。人気を集める必要はないのです。もちろん、人気を集めることも1番の中の1つだけれども、僕のクラスの中では僕が1番なんだ、しかもそれは勉強とかスポーツとかじゃなくて、例えば、テレビ番組、バラエティ番組でも欠かさず見ているやつが1番とかね。そういう1番でもいいのです。充分1番に値する。そんな、何でもいいから1番を目指そうよという、そんなことを指南できれば、皆さんに何かを教え、何かを伝えられれば、この本を書いた意味はあるかなとそんな風に思っています。

プロフール

少年時代から水泳・陸上などスポーツを得意とすると同時に音楽にも興味を持ち、中二の時に初めてギターと出会う。中三の学園祭の時に友人と計3人でアコースティックギターでの初ステージを経験。高一で初めてバンドを結成するがグループ名も付く前に自然消滅。高二で二つ目のバンド【Fire】を結成し学園祭で披露(いずれのバンドでもボーカルを担当)。幾つかのバンドを経て、大学生時代に結成したバンド【乱(RAM)】が、1988年12月つんく♂(Vo)・はたけ(G)・まこと(Dr)・たいせー(Key)・しゅう(Ba)の5人によるバンド【シャ乱Q】となり、1989年1月15日大阪バナナホールにて初LIVEを行う。その後、シャ乱Qが中心となって関西バンド集団【すっぽんファミリー】を発足させ、毎週日曜日には大阪城ストリートLIVE(城天)を賑わせる。シャ乱Q単独としても関西のライブハウスの動員記録を次々と塗り替え、1991年NHK BSヤングバトルにて応募総数全国3404組の中からグランプリを獲得。翌1992年7月22日、シングル【18ヶ月】でBMGビクターよりメジャーデビュー。
以後の主な活動はこちら