森ビル株式会社

世界の子供たちとリズムを刻む理由(第2回)

2008年08月02日

今月のゲスト:ミュージシャン 渡辺貞夫さん

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世界中を飛び回り、世界中の人々に音楽の素晴らしさを伝えるミュージシャン渡辺貞夫。六本木という場所に居を構え、30年以上経つ、正真正銘の六本人である。彼の語る、音楽と都市、そして子供たち。六本木が音の聞こえる街になればと願いをこめて。

第2回  日本でもリオのカーニバルの熱気を

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スペイン万博で共演する子供達との練習風景

70年代の半ばにブラジルに行ったとき、リオのカーニバルを取材しました。それぞれのチームの歌を、観衆みんなで歌って、そこに何千人のリズム体が参加して歌って踊って・・・国中が沸いていました。初めて体験した時、とてもうらやましいと思いましたね。その前1968年に初めてブラジルに行ったときも、街角で何人かのミュージシャンがいい感じで音楽を奏でているわけですよ。その時も「いいな」と思ったけれども、リオのカーニバルを体験し、ぜひ日本でもああいう状況が欲しいなと思うようになりました。
すると、1980年代の初めに、オルドゥンというチームができたわけです。そこのチームのリズムというのは非常にシンプルなのですがダイナミックで、これだったら日本の子どもたちが練習するのにもいいんじゃないかということになりました。それで、田舎のどこかの学校でリズムの練習ができないかということを『週刊新潮』の掲示板に載せました。1994年だったと思います。
たまたま1995年は栃木県が国民文化祭の主催県だったこともあり、NHKのディレクターが僕の記事を見て、「渡辺さん、やりませんか?」「やりましょう」となりました。1年前に、まず太鼓を60個買ったことから始まり、国民文化祭は大成功しました。子どもたちも10カ月ぐらい本当によく練習ししました。また友人に頼んでオルドゥンの若手を10人日本に呼び、毎週末練習に行きました。それを1回のイベントで終わらせるのはもったいない。終わった後には、太鼓も残っているわけだし、続けようということで、今日まで続いています。今年でもう14年目ぐらいになるのではないでしょうか。子どもたちももちろんですが、僕自身が楽しんでいるんですよね。僕は、最初こそ子どもに教えますが、僕自身パーカショニストじゃないから、そんなに格好よく教えられない。だからプロに頼んだりもするわけです。教えるというより、中に入って一緒に遊ぶという感じですね。そうじゃないと子どもも一緒になって楽しんでくれませんから。

子どもたちとの歌・それぞれの国民性

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スペイン万博で共演する子供達との練習風景

海外の子どもたちと一緒にやっていると、それぞれ国民性がありますよね。ですから、最初から非常にいい感じで交流できるところとそうではないところがあります。日本の子どもたちは、最初は変なおじさんが遊びに来たみたいな感じで、硬いです。歌の練習も、だいたい学校で先生に教わって、僕の歌を歌うにしても、直立不動です。ただ僕の歌というのは、リズムと一緒にやろうというようなもので、それこそステップを踏んで歌うぐらいの気分じゃないと、歌が生きてこないんですよね。最初の1、2回を過ぎてしまえば、子どもたちも楽しさが分かってくるので、一番気を使うのは、初対面の時ですね。
スペイン万博でサラゴサの子どもたちと一緒に歌うので、4月の末に1回目の練習に行きました。最初に心配したようなことは全くなく、もうすでに僕の曲を7曲、日本語で歌ってくれましたしね。そして今度7月にスペイン万博のジャパンウィークにセネガル、ポルトガル、スペイン、日本の子どもを連れて行きます。ギターの村治佳織さんにも参加してもらって、300人のコンサートをやるのですよ。楽しそうでしょう。

プロフール

1933年、栃木県生まれ。高校卒業後、上京。アルトサックス・プレイヤーとして数多くのバンドのセッションを経て、1962年米国ボストンのバークリー音楽院に留学。
日本を代表するトップミュージシャンとしてジャズの枠に留まらない独自の音楽性で世界を舞台に活躍。写真家としての才能も認められ6冊の写真集を出版。2005年愛知万博では政府出展事業の総合監督を務め、音楽を通して世界平和のメッセージを提唱。