森ビル株式会社

音楽で、言葉で、笑いで、哲学する(第2回)

2008年07月11日

今月のゲスト:クラブキング代表 桑原茂一さん

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ラジオ「スネークマンショー」で風刺の効いた笑いを、クラブ「ピテカントロプス・エレクトス」で原宿にサブカルチャーを、フリーペーパー 『Dictionary』でメディアの可能性を、新しい喜びと驚きを生み出し続ける桑原さん。そんな彼が思う、今、私たちが考えるべきこと。

第2回 「お金では買えない」フリーペーパー

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Dictionary NO.122表紙

今のフリーペーパーは「どこでも手に入る」とか「ただで配っている」という意味ですが、僕らが言っていたフリーペーパーというのは、それとはちょっと違って「金では買えない」という反抗でした。「書店では売れないからただであげよう」というのではなくて、「書店では売りたくない」ということ。だって、大手流通はみんな、戦争時の統制から始まった検閲機関で、未だにお上のような役割をして、どんどん厳しくしているのです。その言い訳は「売れないものをつくるな」のようなものなのですが、本当はそうやって自由なものを書店に流せないようなシステムが緩やかにひそかに働いているんだと思いますよ。
フリーペーパーというのは誰かが配らないといけないので、そこが一番難しかったです。自分たちで配るといっても限度がありますよね。当時、渋谷系の時代は何千冊も持ってHMVの前で、毎日配っていましたよ。誰も『Dictionary』と言われても「何、これ?」みたいな時代に、色々なところで一生懸命配っていましたね。「イベントだ、それ行け」って配ったり。でも、そのうち、徐々に1,000部持っていってもその日になくなり、 2,000部持っていっても、またなくなりと、段々そうなっていったんです。

制限から生まれる新しいもの

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YMOとスネークマンショーのアルバム「増殖」

例えばあるテレビ局が何十周年記念で、「昔のヒットした番組をもう1回復活させてお祝いをやりたい」「スネークマンショーをやってくれませんか」とか言って来るんです。でもその時はちょうど9.11以降ですごく熱くなっていた時だったので、今は戦争反対しかないからと言うと、「いや、戦争反対がスネークマンショーじゃないですか、横断幕立てて記者会見やりましょうよ」とか言うんです。でも、本当に戦争になったら爆弾の音ひとつだめでしたからね。
スネークマンショーをやっていた70年代後半、ニュー・ウェイヴ、パンクの頃はまだ、「何でだめなんだ?」と言うと、説明してくれる人がいましたけれど、今は「何でだめなんだ?」を持っていく先すらない。誰が「だめ」と言っているのか、全く分からない。恐ろしい時代だなと思いますね。なので、どうしようかと思いながらCDをつくってみたり、生でやってみたりしているうちに、iPodが生まれ、iTunesが生まれて、podcastが生まれたんです。それで「おっ、もしかして」と思っていたら、坂本龍一さんが「茂一、ここだったら、お前、大丈夫じゃないの?」と言ってくれて、「ここなら、お前、放送禁止にならないんじゃないの」と、他にもみんなが色々言ってくれて、そのおかげで「Podcast media CLUBKING」が始まったようなものです。

夏フェスになかったコメディのテント

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演劇「甘い誘惑」タイトルロゴ

色々なところに、神出鬼没に出ているように思われる方もいるのですが、そんなことはないです。例えば、王子ホールでの『甘い沈黙』のお芝居などは、コシミハルさんのライブが昔から好きで、お邪魔してすばらしかったことと、会場だった王子ホールに惚れちゃったことで、ここでやりたいと思ってやっただけです。他にも、夏のフェスティバルはあるけれど、コメディのテントがない。他の国はいっぱいやっているのに、なぜか日本はないのかということで「RISING SUN」をやらせていただいたのです。それも、普通にやればいいのに、僕らがやるとテントからつくったりして、テントつくるのにウン千万みたいなことになっちゃったりするんです。
何かをやる時に、そこにものが建っただけで、何をやるのかというのは見たら分かるじゃないですか。それがすごく大事だと思うんですよ。みんながロックコンサートをやっている普通の場所でやったら、多分伝えたいことが伝わらない。もちろん、そういう面倒くさいことに「いいよ」と言ってくれる人も立派なんですけれど。

コメディは、吉本を連れてくればコメディになるのでしょうけれど、残念ながら僕の笑いは吉本の笑いとは違う。自分たちがその時思ったのは、「テレビに一切出ないもので、いいものを見せる」という、ただその1点です。だから「テレビだけ見ていたのでは、本当のことはわからないよ」ということを言いたかったし、本当にテレビにひも付かなければ生きていけないような芸能界なのか、クリエイティブ界なのか分からないけれど、そういうものに対する反抗がありましたよね。
茂木健一郎さんなどもそういうのが大賛成な人なので、あの頃はモンティ・パイソンのことをやってもらったり、生意気というグループが現代美術のものすごく分かりにくいことをやったり、あとはスチャダラパーと宮沢章夫君たちが、それこそまさに放送禁止ばかり集めたり、リリー・フランキーが性の意識革命じゃないか、これは!というようなことなど、色々な分野でめちゃくちゃなことをやったりしたんです。
ロックコンサートのテントはたくさんあるので、ストレートな音楽表現というのはありました。でも、映像でも見たことのない3D映像をやったり、何かここに来なければ見ることはなかったなというものをやらないと意味がないんです。全国から若者がなけなしの金を持って何か夢を探しに来ているのに、「テレビで見ているのと同じじゃん、これ」って、それは嫌だし、少なくとも俺がやることじゃないと思う。そんな程度だから、そんな難しいことは考えていないんです。

関連リンク

プロフール

選曲家/プロデューサー/株式会社クラブキング代表。
1973年より米国『ローリングストーン』日本版を創刊号から運営、'77年『スネークマンショー』をプロデュースしYMOと共演、同年『コムデギャルソン』のファッションショー選曲を開始する。
'82年原宿に日本で初のクラブ『ピテカントロプス』をオープン、'89年フリーペーパー『dictionary』を創刊、'96年東京SHIBUYA FMにて「club radio dictionary」を開始する。
'01年の911を機に発行された坂本龍一氏とsuspeaceが監修する『非戦』に参加したのをきっかけに、独自の世界観をコメディという切り口で表現する「コメディクラブキング(CCKing)」を展開。
現在、フリーペーパー/ウエブ/ポッドキャスト/コミュニティラジオ/TV/携帯サイト/映像表現/コメディライブ、またそれらを統括するWEB「メディアクラブキング」をプロデュースし、LOVE&PEACEに生きるオルタナティブなメディアを目指し活動を続けている。