森ビル株式会社

僕の好きな「ヒルズたち」(第1回)

2008年04月04日

今月のゲスト:編集者 石川次郎さん

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この春5周年を迎える六本木ヒルズ。
東京とその時代の語り部として完成前からこの街を見つめ、街の完成後はフリーペーパー「ヒルズライフ」のプロデューサーとして街と歩んできた石川さんが語る、僕の好きな東京、そして「ヒルズたち」。

第1回 東京シティビューから眺める東京

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東京シティビュー 赤坂方面の眺望

こんにちは、石川次郎です。
六本木ヒルズは、さすが5年たって随分街らしくなった気がします。ハードとしての街の完成度も随分上がったし、街に入っていくと、六本木ヒルズ独特の空気感のような、匂いのような、そんなものが生まれてきたんじゃないかなと思うんです。それが何かと考えると、やっぱり人なんでしょうね。六本木ヒルズに来ている人たちの雰囲気や匂い、何かすごく似ているある種の人たちが来ているという感じです。だから、街が人をつくるといったような、街独特の雰囲気が出てきた感じがします。
例えば、僕がちょっとお手伝いしたお店ではあるのだけれど、六本木ヒルズのけやき坂に「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」というお店がありますよね。そこは夜中までやっているのですが、夜の11時頃天気のいい日に、そこでボーッとお茶なんか飲んでいると、犬を連れた近所に住まわれている方たちがたくさん集まるんです。まるで犬の品評会にみたいになります。皆さんすごくおしゃれな感じの方たちで、犬もきれいな犬が多くて、その犬たちがみんな仲がいいのです。表のカフェで、何かこう、犬を通しての交流があるような、そんな独特な風景が見られるようになって、「ああ、いい街になってきたな」と実感します。

52階の東京シティビューから東京の街を眺めると、「東京ってやっぱり大きい街だな」という実感があります。パリもニューヨークもロンドンもどこもかなわない、一種の広大な感じが東京にはあって、「東京って意外に緑が多いな」とか、「想像していたよりフラットだな」いろいろなことに気がつきます。そんな中で最近面白いなと思うのは、森タワーの53階、52階から見ていて「東京も随分立体的な都市になったな」ということです。すぐ向かいに東京ミッドタウンができて、その先にTBSの周辺に赤坂サカスがオープン、ちょっと目をずらして東京湾の方を見ると、間近に汐留の開発が見える、その先には芝浦のマンション群。全く反対側を見ると副都心がそびえ建っているし、結局東京というのは空に向かって伸びざるを得なかったんだという、やはり東京の空の空間というのは非常に大事な空間だったんだと、ここにきてみんな感じているのではないでしょうか。特に都市開発を実際にやっている方たちはもちろんそうですが、やはり空という空間を利用しない手はないと、みんなが気づいたんじゃないでしょうか。そういう意味では、上から見ていると「すごくエキサイティングな街になってきた」という感じがします。だから森社長がおっしゃっている「バーティカル・ガーデンシティ」というのは、ただの理想の世界ではなくて、どんどん現実的になってきたなと、上から眺めるたびに実感しますね。

あらゆる意味で六本木ヒルズというのは、すごく研究されてきたという感じがします。東京ミッドタウンを見ても、僕は初めから、これは六本木ヒルズと違うものをつくろうとしているなというのはよくわかったし、それがよかったのではないですかね。だから、六本木ヒルズと東京ミッドタウン、それから今度できた赤坂サカスが何かうまいシナジーを産むという感じがします。特に六本木周辺は、六本木ヒルズと東京ミッドタウンだけを見ても、周辺がだいぶ変わってきたし、しかも国立新美術館ができて、さらに雰囲気が変わってきましたよね。一昔前の話になるけれど、六本木という街がちょっと汚れた感じの猥雑な街になってしまいそうな雰囲気がありました。昔から六本木を知っている人間としては、「ちょっと嫌だな」という感じが正直言ってあったのですが、明らかに最近は街の様子が変わりつつありますよ。六本木ヒルズと東京ミッドタウンができて、それがつながったことによって、空気がきれいになったというか、街が変わった感じがします。これはやはり大規模都市開発という大きな変化があって、それに伴って街の周辺が変わっていったといういい例ではないですかね。

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プロフール

1941年東京生まれ。1964年に早稲田大学卒業後、海外旅行専門のトラベル・エージェントに勤務。1967年2月、平凡出版株式会社に入社。「平凡パンチ」誌で 編集者生活のスタートを切る。「Made in USA」、「SKI LIFE」など実験的雑誌づくりを経て、1976年の「POPEYE」創刊に加わる。現マガジンハウス最高顧問の木滑良久氏との共同作業で、引き続き「BRUTUS」、「TARZAN」、「GULLIVER」などを創刊。各誌の編集長を歴任する。
1991年10月よりマガジンハウス広告局長。1993年2月末同社退社。同年4月、企画・編集プロダクションJI inc (株式会社ジェイ・アイ)を設立。メンバーシップ・マガジン「SEVEN SEAS」(アルク刊)、「Travel Style」(世界文化社刊)などの編集長を務め、現在は六本木ヒルズのフリーペーパー「HILLS LIFE」なども手掛ける。また、六本木ヒルズ内にある「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」や川崎の「LA CITTA DELLA」などの商業施設のプロデュースも行う。
1994年4月より2002年3月までテレビ朝日「トゥナイト2」の司会としても活動。現在、企画にも携わっているBS朝日の番組「男たちの食宴」、「亜細亜見聞録」に出演中。