歴史・沿革
History
歴史History
森ビルの歩みは、今の感覚から言えば比較的小さな、1棟のビル建設からはじまりました。
やがてビル単独の「点的開発」は、複数の街路や街区を合わせた「面的開発」へ、そして「都市づくり」へと進みます。人間の未来を育む都市。その未来をつくるために。従来の価値観や基準にとらわれないで発想し、提案し、対話し、意見を聴き、まとめ、実現へ結びつけていきます。
森ビルが大切にしてきたことは、これから先も変わることはありません。
1955 森不動産の誕生
「ゆくゆくは焼け跡にビルを建てるつもりだ」。創業者 森泰吉郎は、戦争で荒廃した東京の街を見てそう語りました。森泰吉郎は、1955年に森ビルの前身、森不動産を設立。2年のうちに虎ノ門の交差点近くに西新橋1森ビルと西新橋2森ビルを完成させます。この2棟のビルから、森ビルの歩みは始まりました。はじめに完成した西新橋2森ビルには、フランスの香水メーカー、インドの通信社、米国オレゴン州小麦生産者連盟などが入居。国際的に評価される品質を提供することで外国企業を多くテナントに迎える、という森ビルのオフィス事業の特色も、この賃貸ビル第1号から始まっていました。関係権利者に参加を呼びかけ、じっくりと対話していくという当時からの森ビルの開発手法は、現在も変わらず生き続けています。
1960~ ナンバービル時代
森ビルは1950年代後半から本格的な賃貸オフィス事業に進出します。地元である新橋・虎ノ門地区に集中的にオフィスビルを建設し、戦後焼け野原となった街に耐火建築の建物を増やしながら、ビジネス街として地域全体の価値を高め、活性化することに努めてきました。初期のオフィスビルにはすべて数字が冠され、通称「ナンバービル」と呼ばれています。1959年に竣工した西新橋3森ビルは空調入り賃貸ビルのはしりであるだけでなく、テナントが使用できる有効面積の比率も高く、画期的な建物として業界の話題を呼びました。1960年代には高度経済成長にともないオフィス需要が増加。これに応えるかたちで森ビルの事業も拡大し、ビル単独の「点的開発」から、複数の街区や街路を含めた「面的開発」へと移行していきました。
1978 ラフォーレ原宿
1978年、ラフォーレ原宿をオープン。若者たちが集まるファッショナブルな街へと変貌しつつあった原宿は、このランドマークの出現によって一躍ファッショントレンドの発信地としての地位を確立します。ファッションに特化したリテールスペースとイベントスペース「ラフォーレミュージアム」の2つの軸により、新進気鋭のアパレルブランド、クリエイター、アーティスト、起業家を世に送り出し続け、ユニークなイベントプロデュースやインパクトのある広告活動などでも常に話題をさらってきました。毎年1月と7月の「グランバザール」期間中は、オープン前のエントランスに長い列が発生。今では原宿の風物詩にもなっています。表参道ヒルズの誕生(2006年)で一段とファッションとトレンドの感度を高めた原宿・表参道エリアにおいて、半世紀にわたり、原宿から世界に向けて最先端のファッションとトレンドを発信し続け、時代や人々に大きな影響を与えています。
1986 アークヒルズ
民間による初の大規模再開発事業として、17年の歳月をかけて誕生したアークヒルズ。オフィス、住宅、ホテル、コンサートホールなどから成る24時間複合都市として、職住近接、都市と自然の共生、文化の発信を具現化した「ヒルズ」の原点です。完成当時、日本のインテリジェンスビルの先駆けでもあったオフィス棟には、進出を始めたばかりの外資系金融機関が多く入居し、東京を代表する国際金融センターの顔となりました。40年の年月が流れた現在も、オフィス棟は高稼働を維持。アークヒルズのシンボルでもある桜並木や7つのガーデンは、「都市の生態系」を育み続け、都心に季節のある風景をもたらしています。
1999 ヴィーナスフォート(パレットタウン)
お台場で、中世ヨーロッパの雰囲気を楽しめるテーマパーク型商業施設として開業した「ヴィーナスフォート」。臨海副都心の開発促進を目的に、東京都が10年間の暫定利用を条件として同エリアを民間企業に貸付したことを受け、森ビルが開発を推進しました。
ヴィーナスフォートは、モビリティの体験型テーマパーク「MEGA WEB」や「パレットタウン大観覧車」「Zepp Tokyo」など、多様な施設が集結する「パレットタウン」の施設のひとつとして誕生しました。2008年に東京都が実施した用地売却のコンペで、森ビルとトヨタ自動車に同地の売却が決定したことで、パレットタウンの営業はその後も継続。お台場エリアの発展に大きく貢献しました。その後、臨海副都心エリアの新たな賑わい創出に資する施設を企画・検討するため、2022年8月までにすべての施設の営業を終了しました。

2001 愛宕グリーンヒルズ
愛宕グリーンヒルズは、建物を高層化することでオープンスペースを生み出し、都心で「職住近接」を実現するというアークヒルズの開発理念を受け継いだ複合開発で、六本木ヒルズに至るステップとしても位置づけられていました。
開発地域である愛宕山は、桜などの豊かな緑に恵まれ、江戸時代から眺望を愉しむ名所として親しまれてきました。山頂には放送発祥の地であるNHK放送博物館や、愛宕神社があり、500年以上の歴史をもつ青松寺のほか、清岸院、傅叟院といった寺院も立地。文化的・歴史的にも都市の中では貴重な地域です。本開発では、愛宕山の既存の地形と緑を保全し、都心の貴重な景観資源として活用するとともに、定住人口を回復し防災上安全で、快適なまちづくりをめざし、古きものと新しきものの美意識を共存させながら、東京の新たな景観を創造することに貢献しました。

2002 元麻布ヒルズ
アークヒルズの開発以降、森ビルは都心居住を大きなテーマとして捉えてきました。都心の閑静な高級住宅街と知られる元麻布地区に位置する本プロジェクトは、森ビルとして初めて住宅を主用途とした大規模再開発です。多くの寺社や大使館、貴重な緑が残る優れた住環境を持続させるとともに、現代における高級とは何かを考えながら都市の魅力を回復させる都心居住のあり方を模索しました。麻布という「場」を勘案した都市未来像の提案を目指し、都市の中に森をつくるのではなく、都市そのものを森として捉えるという発想で、「森の都市」をコンセプトに計画。その象徴となるフォレストタワーは、樹木をイメージしたシンボリックな形態で、上空に広がるその形は樹木や幹や枝を表し、屋上やバルコニーの木々が大樹の葉を表現しています。都心でありながら、身近に自然を感じられる空間を創出しました。

2003 六本木ヒルズ
経済的な視点に偏りがちだった従来の都市再開発に対する価値観を一新し、過去からだけではなく未来からも学ぶ。真の人間の豊かさや、文化や、対話や、次の時代へのヴィジョンが生まれる都市づくりをする。森ビルの21世紀の都市づくりへの思いを結実させたのが、この六本木ヒルズ。東京に新しい「文化都心」を生み出す、国内最大規模の都市再開発です。メインタワーの森タワー最上層に、美術館、展望台、会員制クラブ、アカデミー・フォーラム施設からなる複合文化施設「森アーツセンター」を配したことがこの街の大きなメッセージになっています。多彩な都市機能だけでなく、日々、新たな発見や刺激を提供するイベントなどにより、2003年のオープン以来、国内外から毎年4,000万人を超える人々が訪れ続ける六本木ヒルズ。街は成熟を重ね、その磁力はさらに増していきます。
2006 表参道ヒルズ
昭和初期の文化的都市生活のシンボルだった旧同潤会青山アパート。70年以上も表参道の顔であり続けた場所を再開発することは、森ビルにとっても決して容易ではない試みでした。森ビルと設計を担当した建築家の安藤忠雄氏が街の人々と一緒になって発想したことは、表参道のランドスケープへの敬意。建物の高さを表参道のケヤキ並木と同じ程度に抑え、屋上も積極的に緑化。地下3階から地上3階までの6層分の吹抜け空間には、表参道の街並みと同じ傾斜のスロープを持つ「第2の表参道」を創出し、商業施設をレイアウトしました。世界中から最新のファッションやライフスタイルが集い、様々な情報や刺激を発信する感度の高い場所として。歴史ある街の記憶を継承しながら、常に新しい時代の息吹を送りこみ続ける表参道ヒルズです。
2008 上海環球金融中心 (Shanghai World Financial Center)
進化する中国の中でも発展著しい上海・浦東地区に位置する、地上101階、高さ492mの世界最高水準の国際金融センター。世界のグローバル企業を想定した最高スペックのオフィスをはじめ、展望台や商業施設、最高級ホテルなどを擁し、アジアにおけるビジネス、文化、エンターテインメント、情報発信の一大拠点となっています。開業以来、「成長や変化への意志」を持ったリーダーたちやグローバルに活躍するプロフェッショナルを惹きつけ、上海のランドマークとして確固たる地位を築くとともに、その磁力が中国、アジア、世界の未来に影響を与える「グローバルマグネット」として進化を続けています。
2012 アークヒルズ 仙石山森タワー
国際性・文化性豊かなアークヒルズエリアの発展を牽引する新たな複合機能拠点。時代のニーズに応える高機能オフィスや多様なライフスタイルに応える都市型住宅を整備しました。また、最先端の環境技術を結集すると共に、地域在来種を中心に植樹し、生きものにすみかや採餌場を提供する枯れ木を設置したり表土を再使用して生物多様性に配慮するなど、環境への積極的な取り組みも行っています。これらの取り組みは、建築物の環境性能を評価するCASBEEでの最高評価Sランクを取得(2010年)や、JHEP認証において日本初となる最高ランク(AAA)を取得するなど、高く評価されています。
2013 アークヒルズ サウスタワー
国際的なビジネス・文化の中心として発展を続けてきたアークヒルズに誕生した新たなビジネス拠点。自由度と効率の高いオフィス空間に加え、「六本木一丁目」駅直結の好立地。アークヒルズと泉ガーデンを接続する歩行者デッキ、先進のファシリティ、高い耐震性能と環境性能が、ビジネスに新たな価値を与えています。
2014 虎ノ門ヒルズ 森タワー
官民連携による都市再生のモデル事業。ひとつの敷地を道路と建物の相方で利用する画期的な手法「立体道路制度」を活用し、環状第二号線の整備と一体的に建築した超高層複合タワー(高さ247m)です。1フロア約1,000坪の広大なフロアプレートを持つ最高スペックのオフィスを中心に、日本初進出のホテル「アンダーズ 東京」、眺望抜群のハイクラス住宅、国際水準のカンファレンス施設、多様な都市活動を最大限サポートする商業施設、約6,000m²に及ぶ緑豊かなオープンスペースなどを擁し、東京の新たなランドマークとして、東京の魅力を世界に発信。東京の新たなシンボルストリート「新虎通り」とともに、国際新都心形成の起爆剤として、東京を未来へと導いています。
2022 JAKARTA MORI TOWER
急速な人口増加による消費市場の拡大を背景に、著しい経済成長を続けるインドネシアの中でも、都市圏人口としては東京圏に次ぐ世界第2位の巨大都市へと成長を遂げているジャカルタ(2022年当時)。今後も中間層以上の人口増加による市場規模の拡大とさらなる経済成長、グローバル企業の集積やスタートアップ企業の成長が予想され、国際水準のスペックを備えたハイクオリティビルに対する需要が一層高まることが見込まれます。
森ビル初の東南アジアにおける開発事業「JAKARTA MORI TOWER」は、ジャカルタ最高水準のスペックを備えた大規模オフィスタワーとして、高層ビルが集積するジャカルタ最大のビジネス街の中心部、スディルマン通り沿いのスマンギ交差点近くに誕生。当社が国内外における数多くの都市づくりを通じて培った知見やノウハウを活かし、成長著しいジャカルタの経済発展と、快適で豊かな都市生活の実現を目指します。

2020,2022,2023 虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー、レジデンシャルタワー、ステーションタワー
東京の中心に位置し、霞ヶ関にも近い虎ノ門は、大使館や文化施設も集中するエリア。創業の地でもある虎ノ門のポテンシャルを、森ビルは誰よりも知っていました。だからこそ「グローバルビジネスセンター・虎ノ門ヒルズ」という未来を構想し、その実現に必要な機能を段階的に整備してきました。
虎ノ門ヒルズは、「森タワー」の開業が起爆剤となり、また各プロジェクトがそれぞれ国家戦略特区事業に指定されたことも後押しとなり、約9年という都市再開発事業としては異例のスピードで拡大・進化。2020年には、大企業の新規事業創出を目指すインキュベーションセンター「ARCH」を擁する「ビジネスタワー」、2022年には、都市の豊かさを享受できるグローバル水準のレジデンス「レジデンシャルタワー」が竣工。そして、2023年には、日比谷線「虎ノ門ヒルズ」駅と一体的に開発した「ステーションタワー」が竣工しました。これにより、「虎ノ門ヒルズ」は区域面積約7.5ha、延床面積約80万m²を誇り、多様な都市機能に加えて、道路や鉄道などの交通インフラとも一体化した「国際新都心・グローバルビジネスセンター」へと進化。六本木ヒルズに匹敵するスケールとインパクトを誇ります。

2023 麻布台ヒルズ
麻布台ヒルズは、森ビルが理想とする「都市の中の都市(コンパクトシティ)」であり、当社がこれまでのヒルズで培ったすべてを注ぎ込んだ「ヒルズの未来形」です。
テクノロジーが進歩し、働き方、暮らし方、そして生き方までもが大きく変わろうとしている今、「都市とはどうあるべきなのか?」「都市の本質とは何なのか?」という問いから、プロジェクトはスタート。森ビルはこれまでも「都市の本質は、そこに生きる人にある」と考えてきましたが、改めて、人々がより人間らしく生きられる都市のあり方を考えました。そこで行きついた麻布台ヒルズのコンセプトは、“緑に包まれ、人と人をつなぐ「広場」のような街 - Modern Urban Village -”。広大な中央広場を街の中心に据え、オフィス、住宅、ホテル、インターナショナルスクール、商業施設、文化施設など、多様な都市機能を高度に融合。誰もが豊かに暮らせる環境をめざしたこの街は、世界が注目するGreen&Wellnessという価値を、東京の中心で実現します。
