HILLSCAST J-WAVE連動 森ビルがお届けするインフォメーション

08月のゲスト

ミュージシャン
渡辺貞夫さん

2008年08月01日

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世界の子供たちとリズムを刻む理由(第1回)

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世界中を飛び回り、世界中の人々に音楽の素晴らしさを伝えるミュージシャン渡辺貞夫。六本木という場所に居を構え、30年以上経つ、正真正銘の六本人である。彼の語る、音楽と都市、そして子供たち。六本木が音の聞こえる街になればと願いをこめて。

 

第1回 集い 憩い 楽しむ。 それが都市の魅力

皆さん、こんにちは、渡辺貞夫です。
僕は東京、それこそ本当に六本木ヒルズから歩いて1分のところに住んでいます。六本木ヒルズが開発される前、1965年の暮れからあのエリアに住んでおり、今は近くのマンションですが、都会生活、やはりいつも人がいる場所というのは、僕にとっては非常にうれしい場所なんです。
都市の魅力といいますと、やはり人々が行き交ってなごむ、そういう場所がある都市は魅力がありますよね。例えばニューヨークの街も、あんなに大きくて、様々な国の人たちが住んでいるけれど、あの中にセントラルパークがあるからニューヨークは機能しているのだと思うのです。やはり憩う場所、それが街の真ん中にあるということが、その都市の魅力になると思います。
今、日本の地方都市は空疎化していますが、人々が集う場所、そして楽しめる場所、そういうところがあると、やはり人は集まってくると思うんです。都市の条件というのは、地理的に恵まれた土地ということもありますよね。例えばサンフランシスコなどは海に面していて、そして非常にカッコいい街。だから、住みやすい街だと思うんです。特に車がなくても、街の中心は散策できるようなエリアがあるというように。

生きている街、サルヴァドール

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    子ども達と、太鼓を使っての授業

僕の好きなブラジルのサルヴァドールという街などは、本当に街が生きている。街の中に太鼓の音が聞こえてきてね、子どもたちがヘピーキなどといった太鼓を担いで街の中を歩いていて、それが格好いいんです。サルヴァドールにはたくさんのサンバチームがあり、毎週水曜日だったかな、夜の8時位からみんな教会に行ってお祈りをして帰り、朝方の3時、4時まで練習するんです。僕が栃木県の子どもたちに教えているオルドゥンというサンバグループも、そんな広い場所ではないのですが、それでも7、800人は入ってしまうようなビルの裏庭で練習します。評判がよく、最近は入場料をとって練習風景を聞かせているのですが、その2つのチームが隣り合ったスペースでサンバのリズム、歌とリズム、ドコドコドコドコやり、それが街の中に響いているわけですね。そして、そこに参加したいという子どもたちのグループが、すぐ横の教会前にあるペロリーニョ広場辺りでも練習しているんです。
サルヴァドールには教会が80位あるそうで、教会の前には広場があるわけです。ですから、そういうところに人々が集まって、楽しむ場所、リラックスできる場所、そういうものが街の中に何カ所もあります。また海辺の街ですから、海風が心地よい。バザールのようなところでもドコドコ音が聞こえるといったように、街の中で人がエンターテイメントをしているんです。だから、世界中から人が遊びに来ますよね。街が生きている、やはりそういう街こそが魅力のある街じゃないかと思います。そんな街から受けた印象を体感し、僕の音楽に反映していますね。

日本にも再び人々の交流の場所を

僕はね、「危ないから行っちゃいけません」なんていわれているところでも、結構どこでも1人で飛び出してしまうんです。街の中で、元気のあるところというとダウンタウンですよね。人々が集まっていて、猥雑というか。そういう場所の方が人々が生きているので、平気で行ってしまうんです。もちろん、観光客的にキョロキョロ歩いていたら危ない場所もありますけど、その土地に住んでいるような、特別目立つ格好じゃなければ、ウロウロしても特に問題ないんです。僕は今まで怖い経験は、そんなにしたことがないですね。街角のバーで、昼間コーヒーでも飲みながら、人々がおしゃべりしている風景など、非常にいい感じですよね。
そんな気分というのは、日本ではなかなか味わえない。昔は日本でも縁台出して夕涼みをしたり、街の人々の交流というのがよく見られたけれど、今はそういう風景って日本にはないじゃないですか。だから、そういう場所をつくるべきだと思うんですよ、日本も街の中にもね。やはり緑、木を植えるとか木陰をつくるとか、そういうことが必要ではないかと思うのです。

1933年、栃木県生まれ。高校卒業後、上京。アルトサックス・プレイヤーとして数多くのバンドのセッションを経て、1962年米国ボストンのバークリー音楽院に留学。
日本を代表するトップミュージシャンとしてジャズの枠に留まらない独自の音楽性で世界を舞台に活躍。写真家としての才能も認められ6冊の写真集を出版。2005年愛知万博では政府出展事業の総合監督を務め、音楽を通して世界平和のメッセージを提唱。

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