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家内には「あなた、これから何するのよ?」といつも言われるんだけれど(笑)、これからだと、本当は思っているのです。
社員に求める力。
前田:森ビルの社員の方々に今、言っておきたいこととかありますか。
森:それぞれの人にそれぞれの課題や期待がありますが、共通してその人のためにもなるということで言うならば、「もっと自分の要求水準を上げてほしい」ということです。
世の中にはいろいろな可能性もあるし、いろいろな生活もあるし、いろいろなレベルもあるので、美術にしろ、文化にしろ、ライフスタイルにしろ、住まい方だとか、遊び方だとか、いろいろな面に関心を持って頑張って欲しいのです。社員ひとりひとりが一段高い自分を目指さないと、森ビル自身も上を目指すことはできないという意味で、社員にそれを期待しています。別の言い方をすると、教養レベルを上げるということですね。
「運」や「縁」を味方につけるには?
前田:ちなみに、功を成している方ほど、努力とともに「運」とか「縁」ということについておっしゃることが多い感じがします。若い人たちも、自らのこれからも含めて、やはりそういうことに非常に興味を示します。森さん自身、「運」とか「縁」について、何か思うところがありますか。
森:自分で言うのもなんだけれど、よく「天気男だ」と言われます。つまり、「ここぞというときには必ず天気になる」と。確かにそんなところもありまして、私は運がいいんだと思っているのですけれど。
話が脇道にそれますが、プロゴルファーの中島常幸さんはこのようなことをいっています。
スランプのときは、自分自身がいくら立ち直ろうと努力してもだめで、むしろ「自分が生かされているんだ、つまり泳がされているんだ、だから、つまり運なんだ」という気持ちになったら、気が楽になってスランプを脱した、と。「自分は誰かによって生かされているので、生きているわけではないと思ったら、急に楽になってパットも入るようになった」とね。
その一方で、「天は自ら助くるものを助く」ということわざもあります。
このふたつは裏腹で、「俺はついているんだ、生かされているんだ、だから大丈夫なんだ、だから一生懸命やるんだ」というのならいいのだけれど、「どうぜついているんだから、何もやらなくてもいいんだ」というのでは自堕落になってしまう。また、「俺はついていないんだから、なにをやっても無駄だ」となったら終わりです。
「私はついているんだ」という楽観主義者はやはり自分で努力しているんですよ。「俺はついていないんだ」という人は努力していないんです。そういうわけで、成功した人は、必ず「ついているんだ」ということになる、というわけではないですかね。
「天は助くる者を助く」、それが本当なのだけど、ただ、「必ず天は助けてくれる」という楽観主義がないとやっていられないじゃないですか。
楽観主義者でなかったら、私もアークヒルズの再開発なんて最後まで成し遂げられなかったですよ。途中で放りだしているかもしれない(笑)。
「縁」も同じで、普段努力しなければ、会いたい人なんて出てきません。いろいろなことを勉強しているから会いたい人が出てくるし、普段努力しているから、会いたい人に会えるようになるものじゃないでしょうか。まあ、これも裏腹ですよ。
当たり前のことを言っているにすぎないのだけれど、運とか縁は「俺はもともと運が悪いんだ、縁がないんだ」と逃げてしまったらおしまい。「俺はついているんだ」という、いい意味の楽観主義で努力すること。つまりは、「(運が)つくまで努力し続ける」ということです。それが大事なのではないでしょうか。 |