- 都市の基盤が急変貌を遂げた高度経済成長期
- 東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年、日本は高度経済成長期にありました。オリンピックは都市基盤整備の好機と捉えられ、競技施設だけでなく、高速道路などの道路網、東海道新幹線などが短期間に整備されました。
- オリンピック関連道路の整備
選手や観客の各施設へのスムーズな移動を実現するため、東京都においては「緊急道路整備事業計画」が策定され、オリンピック開催に合わせて、22路線・延長546kmが整備されました。
主なものは、明治公園と駒沢公園を結ぶ放射4号線(青山通り・玉川通り)の拡幅、当初朝霞に予定された選手村と駒沢公園を結ぶ環状7号線の新設でした。
羽田と代々木を結ぶ首都高速道路4路線のうち、延長32.8kmが整備されました。首都高速道路は、用地取得の障害を減らし、事業期間を短縮するため、河川・既設道路・公有地(公園)上を通過する高架式により建設されました。
オリンピック前に供用が開始されたのは、首都高速1号線(本町〜羽田空港)と4号線(初台〜都心)でした。
- その他の交通網の整備
- 東海道新幹線は、1964(昭和39)年10月10日のオリンピック開催直前の同月1日に営業が開始され、東京〜大阪間の移動時間は、6時間半から3時間半にまで短縮されました。また同年、浜松町〜羽田空港間に東京モノレールが開通しましたが、これは日本初の営業モノレールでした。
- オリンピック会場施設の整備
各競技は、明治公園、代々木地区および駒沢公園を中心に、北は軽井沢から南は江ノ島、西の相模湖、東は検見川と、広範囲において行なわれました。
新設された主な施設は、代々木の国立屋内総合競技場と日本武道館、駒沢オリンピック公園や駒沢体育館、駒沢陸上競技場ですが、多くは既存施設の整備、増・改築によってまかなわれました。
当初選手村は朝霞に予定されていましたが、現在の代々木公園内へと変更されました。
- 東京の超高層時代の幕開け
1950年代前半まで、日本のビルの高さは100尺(約31m)に制限されていました。
1961(昭和36)年、建築基準法の改正とともに特定街区制度が導入され、1963(昭和38)年には31mの高さ制限に代わって、容積地区制が採用され、東京の超高層時代が始まりました。
日本初の超高層建築の霞が関ビル(地上36階、高さ147m)は、5年の工期を経て、1968(昭和43)年に完成しています。
また、戦前からもちあかっていた新宿西口付近の淀橋浄水場跡(約34ha)を中心とする宿副都心計画(約59ha)においては、1965(昭和40)年、容積率1,000%の最高容積率指定を受けました。一方、当時の世界一の超高層ビルは、1931(昭和6)年に完成したニューヨークのエンパイアステートビルで、高さは381mでした。
:東京では、オリンピックに向けて、当時遅れていた都市基盤の整備を短期間で進めるため、河川や運河が活用されました。





