現代〜江戸時代

江戸・東京の都市形成の歴史
現在の東京にいたるまでの都市形成の歴史を、江戸時代までさかのぼります。ここでは、東京が変わるきっかけとなった5つの出来事に焦点を当てます。

東京が大きく変わるきっかけとなった5つの出来事とは?

東京オリンピック前後の東京
東京オリンピック前後の東京
1959(昭和34)年、東京がオリンピック開催地に決まり、1964(昭和39)年の開催に向けて、競技施設の整備だけでなく、道路も「緊急道路整備5ヵ年計画」の下に急速に整備されました。このころ整備されたのが。代々木体育館や、駒沢競技場、首都高速、青山通り、新幹線、都心と羽田空港を結ぶ東京モノレールなど、現在の東京の都市基盤となっている交通網です。

しかし、短期間での高速道路網の整備を迫られていたために、新たな用地取得を必要としない道路や河川を活用した首都高速道路が建設され、水辺空間や都市の景観を失うこととなりました。
東京大空襲前後の東京
東京大空襲前後の東京
1945(昭和20)年の東京大空襲(死者・行方不明者約94,000人、焼失区域約19,500ha)により、東京は関東大震災に続いて再び焼き尽くされました。

同年12月末には政府は、「戦災復興計画基本方針」を閣議決定しましたが、震災復興計画の経験から、土地区画整理を重視した内容となっていました。終戦前から検討が進められていた戦災復興都市計画は、後の首都圏計画にも受け継がれました。
関東大震災前後の東京
関東大震災前後の東京
1923(大正12)年の関東大震災(死者・行方不明者約91,000人、焼失区域約3,500ha)は、東京に大きな被害をもたらしました。

震災以前に当時、東京市長であった後藤新平が策定した、「東京市政要綱」(8億円計画)は震災後の帝都復興計画に大きな役割を果たしました。
この計画は、ライフラインや都市施設の近代化、鉄筋コンクリート建築による不燃化、市民の住宅の改良を目的として策定され、昭和通りや靖国通りの整備、江東区や港区新橋地区の区画整理など、東京都心部の都市基盤の多くが、これにより形づくられました。
明治時代の東京
明治時代の東京
1868年、明治維新により江戸は東京へと改められました。
江戸の大きな割合を占めていた大名屋敷は、明治政府の所有を経て、陸軍用地や大学用地のほか民間人の手に渡りました。

明治維新後、一時減少していた人口も1872(明治5)年頃から回復を始め、都市の拡大発展が始まりました。1887(明治20)年頃までの文明開化の時代には、新橋〜横浜問の鉄道敷設、銀座の赤煉瓦街、築地の外国人街がつくられました。その後の市区改正計画により、幹線道路の拡幅、上下水道の整備、洋風公園である日比谷公園の設置など、欧米の都市をモデルとして徐々に近代的な都市構造へ改められていきました。
江戸時代末期
江戸時代末期
江戸は、陰陽学の「四神相応の地形」に基づいて、都市づくりが行なわれました。
城の周りには武家地を配し、濠をめぐらせ、濠沿いの交通の要衝には城門のある見附が置かれ、通行人を監視しました。これは「三十六見附」と呼ばれました。
武家地の道路は意識して折れ曲がらせて、敵の直進を防ぐなど、軍事的な防御を中心に考えた都市となっていました。武士は広々とした緑の多い武家地、町人は下町低地に広がる狭い町人地、僧は周辺の社寺地にと、身分による住み分けがなされていました。

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